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位牌3千置き去り 「南米最古」ペルーの慈恩寺 日系移民、出稼ぎ・改宗の末
ペルーに、南米最古とされる仏教寺院﹃慈恩寺﹄がある。
ここに、先祖の位牌や遺骨を預けていく日系人が増えている。
多くの人が日本へ出稼ぎに行くようになった事情や、混血同化が進み、先行やお茶を供える習慣を面倒に感じる人が増えたためだ。
置き去りになった位牌はその数、約3千。
移民が始まってちょうど110年になるペルー・日系人社会の変遷を物語っている。
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首都リマから南へ150キロの町カニエテの広場の近くに﹁慈恩寺﹂はある。この町は1899年にペルーで初めて日本人が集団で移民した土地だが、悲惨な生活で多くの死者が出た。その慰霊のため、1907年に寺が建立された。翌年に現在の名前になった。
町には今でも約500人の日系人が暮らし、5世まで誕生している。ただ、若い世代の90人ほどは、日本に出稼ぎにいったままだ。
おばと住み込みで寺を管理するマリア・ヘススさんが︵毎年、国中から50人くらいが位牌を持ってきますよ﹂と説明する。
ペルーで仏教の寺院はここだけ。
しかし、92年にに日本人住職が亡くなって以降は住職不在で、年に2度ほどブラジルや日本から僧侶が法要に訪れるだけ。線香をあげ、花や水を供えるマリアさん自身﹁ヘスス︵イエス︶﹂という姓が示すとおり、非日系のカトリック信徒だ。
寺の奥まった薄暗い場所に、3千ほどの位牌が並ぶ。沖縄独特の赤い札を組み込んだ様式のものがかなりある。文字が消えかかり、原型をとどめず朽ち果てたものもある。セピア色の故人の写真が張ってあるかと思えば、嘉永︵江戸時代末期︶生まれと記した文字も。
全体に、ローマ字のシールが目立つ。日本語を読めない日系人も祖先の位牌を探せるように、寺側が預かる前に記入を頼んでいるためだ。地下には約200人分の遺骨が、つぼや箱に入って並ぶ。
位牌は6割、遺骨については大半が身寄りの人による接触が絶えており、盆や彼岸にお参りに来る人は限られる。今や日系人はカトリックに改宗した人が多い。信仰とは別に、仏式で先祖代々の位牌を自宅に置き、拝み続ける人はいる。だが、ゴミとして捨てたり燃やしたりする人もおり、寺に預けるのはましな方だという。
カニエテ日系人協会のミゲル・グスクマ︵城間︶会長︵61︶は﹁仏壇や位牌は日本人の象徴。日本の習慣を失わないよう日系人に呼びかけているが、難しい﹂と話す。協会は近く、位牌を納める寺の場所を拡大する予定だ。
︵朝日新聞 2009/12/22朝刊︶
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『移民の聖地』泰平山慈恩寺 創建101周年南米最古の仏教寺 ペルー、絶えない法要会や参拝者 南米第二の日系人口を有するペルーにおいて、「移民の聖地」と呼ばれる場所がある。首都リマから南へ下ることおよそ140キロ、ナスカの地上絵へ向かう途中にあるカニエテ郡の『泰平山慈恩寺』がそれだ。同寺にはペルー日本移民らの位牌約2千500柱が祀ってあるほか、ペルー全土の日本人墓地から集められた土が合祀されている。ブラジル移民よりも歴史が古く、今年創立101年目を迎えた南米最古の仏教寺に足を運んでみた。 -------------------------- 移民2千500柱を祀る / 管理に尽力のグスクマ氏(カニエテ日系教会) -------------------------- 急速に近代化が進む800万都市リマとは打って変わり、カニエテ郡はトウモロコシ畑が広がるのどかな農村地帯だ。この地に1899年からはじまるペルー移民たちの多くが配耕された。カサブランカ耕地には慰霊塔が建つ日本人墓地もある。 中心部のサンビセンテ地区では、キャディラックやダットサンなどの古い自動車がボロロロと音を捲くし立てながら今なお現役で走り、ロバやヤギを連れたインディオが路肩を歩いていた。 慈恩寺は同区のパンアメリカン・ハイウェイ沿いにあった。この地は農村といえど砂漠地帯なので一般の建物は箱型をしているが、同寺にはしっかりと屋根が付いていた。木造ではなくコンクリートの寺だが門構えは風格もある。 17年にもわたり同寺を管理しているカニエテ日系協会のグスクマ・ミゲルさん(60、ニ世)の案内で本堂に通されると、そこには三体の仏像が置かれ、周囲に無数の位牌が所狭しと並べられていた。地下には納骨堂も設けてあった。 堂内に掛けられている慈恩寺創立百周年の記念プレートに寺史が記されていた。それによると同寺は1907年、曹洞宗の僧・上野泰庵がカニエテ郡サンタバルバラ耕地に建立したとある。その後、二度の転移を経て 77年に現在地に至った。 グスクマ氏の説明によると「寺籍は曹洞宗でしたが、現在は無住なので浄土真宗本派本願寺などからも僧侶がやってきます」という。祀られている位牌も各宗派のものが混合しており限定されていなかった。 同寺はペルー日系人協会、日系企業、慈恩寺有志の会などが経費を負担している。彼岸、盆には法要が営まれ、リマ市から多くの遺族が訪れるという。「その時季にはリマ市から日本人学校の生徒たちが訪れ、先祖に焼香して手を掌わせます。これがペルー日系社会の慣わしなんですよ」と誇らしげに話していた。 二世以降はカトリックが多いため、家庭内の世代交代が進むと、それまで家の仏壇にあった一世の位牌を同寺に納めに来る日系人が後を絶たない。また、日本へと出稼ぎに行った家庭の位牌もたくさん納められている。 「日本から訪れる親族が位牌を持ち帰るケースもありますが、年間に三十から五十の位牌がここに持ち込まれるので、位牌は増えていく一方です。もう納めきれませんよ」と苦笑いするグスクマ氏。来年には寺の横に位牌安置所を新設するのだという。 ここには約二千五百柱が祀られているが、以前は位牌が虫に食われ、文字も風化するなど長い間、誰のものかわからない状態が続いていた。 それら位牌を 97年から 01年まで一つずつ調査・整理し、リストにまとめたのがペルー新報元日本語編集長の太田宏人氏だった。 「太田さんのように外部からの支援者がいるので、無住でも心強い。この寺がいかに大切なものなのか、日系社会の人たちはみな理解してくれてます」とグスクマ氏。慈恩寺は世代宗教を問わず、日系人がいる限り『移民の聖地』として存在し続けることだろう。 (サンパウロ新聞 2008/9/5) |