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テーマ ﹁東海道線は鎌倉街道を通る計画だった!﹂
日時 2009年9月19日︵土︶ 10‥00-12‥00
場所 港南台タウンカフェ
講師 長谷川敏雄さん
主催 港南百景デジタルアーカイブ会
共催 港南区役所・まちづくりフォーラム
参加費 500円︵資料代、お茶代として︶
東海道線開通に至る間の秘話をご紹介いたします。
なぜ、保土ヶ谷、戸塚ル?トへ変更になったのか?
なぜ、東海道線は開通当初、桜木町でスイチバックをしていたのか?
その謎ついての歴史的な背景のお話しです。
初代横浜駅︵現在の桜木町︶から鉄道が西へ延伸される際に、保土ヶ谷、戸塚ではなく、現在の鎌倉街道沿いに計画されていたという話から始まり、港南区内での鉄道計画の変遷を辿っていきます。
横浜の副都心と位置づけられている上大岡は、今でこそ大きな街に発展しておりますが、当時は水田や畑の広がるのんびりした村でした。