« 参道基礎コン打設 |
最新記事
| ようこそルーリン彗星 »
2009年2月18日
以前、ブログ記事において 鎌倉古道下之道をGoogleMapで表示いたしました。
今回は、別の角度からの視点で古道のルートを検証してみます。
現在の鎌倉街道は大岡川沿いの谷戸を通るルートですが、鎌倉時代の鎌倉古道下之道は、主に尾根筋を通るルートとなっています。
その理由は
下野庭の天谷橋または天谷大橋の命名の由来は、昔︵年代不明︶、武蔵国と相模国の争いがあった。互いに対峙したのが、ここ天谷大橋付近だった。その時、馬洗川の渓谷は霧が立ちこみ底なしの千尋の谷と化していた。両国は攻め倦んで和睦を申し入れ、争いは終わった
﹃港南の歴史と文化﹄︵伊藤武著・港南歴史協議会︶
にあるように、度々起こっていた武相国境付近の争いに備え、見通しがよく敵を見つけやすい場所であることのほかに
山の上の道を通ると見通しが良いので敵や獣に対して有利である。乾いていて歩きやすい。一方川沿いの道は湿地が多いので歩きにくい。どうしても大小の川を渡る必要があり、渡る橋がもしあっても木橋の寿命は7年ほどである。しかも度々壊れる。履物が﹁わらじ﹂や藁でできた靴では始末が悪い。熊・猪・オオカミ・まむし・ヒル・蜂・毒虫などと出会いやすい
﹃忘れられた街道﹄︵中根洋治・風媒社︶
など、様々な理由が挙げられます。
車両の通行にとっては尾根筋のルートは不利ですが、徒歩ルートでは、逆に尾根筋の方が有利であるのです。
﹁カシミール3D﹂で港南区内の﹁鎌倉古道下之道﹂のルートを作成してみました。
縦断断面図はこのようになります。
やはり結構勾配のきつい場所はありますね。
最後に、別所餅井坂から舞岡公園までのルートをムービーとして作成してみました。
︵ネット上ですので画質を落としています︶
高低差を5倍強調していますので尾根筋を通るルートを体感できると思います。
クリックしてご確認ください。
⇒ムービーを再生(WindowsMediaVideo)