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2009年2月 8日
昨年12月、休戦協定の終結を機にイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が始まってから一ヶ月以上が経過しました。
現在、パレスチナ自治区では、﹁封鎖﹂により150万人のガザ市民が苦境に立たされています。
人の移動や物資の搬入、搬出の制限と米・EU・ロシア・日本などからのガザ地区への直接支援が中止されました。
その影響でガザ地区の食料、医療品、生活必需品が不足。80%の人々が人道支援で生活、私企業の55%が営業休止、工場の95%以上が操業停止、毎日起こる8-16時間の停電、燃料、水の不足といった現状も現地からの細々とした情報網によりかすかに伝えられています。
中東の歴史については下記へ
⇒パレスチナ問題︵ウィキペディア︶
⇒イスラエル ︵ウィキペディア︶
⇒パレスチナ ︵ウィキペディア︶
1948年以降の大まかな年表をまとめておきます。
ピンクがパレスチナ︵自治区︶、水色がイスラエルの領域です。
左の尖っているあたりにあるピンクの領域がガザ地区。
ちなみに、ガザ地区は、地中海に面しエジプトとイスラエルと境界を接する東京23区の約6割の広さの土地で2006年6月以降イスラエルによる長期間の完全封鎖が続いています。人口は約150万人。14歳以下の子どもの割合が約45%、平均年齢は17歳。約7割が難民で、8つの難民キャンプを抱えています。
<これ以前については上記リンクをご参照ください>
1948年 イスラエル建国︵第一次中東戦争︶=パレスチナにとって﹃ナクバ︵破局の日︶﹄
1967年 第三次中東戦争 →直接的占領
1987年 第一次インティファーダ︵抵抗運動・戦車に石を投げるなど︶
1991年 湾岸戦争
1993年 オスロ合意→暫定自治協定=街に常駐するイスラエル軍はいなくなるも占領状態は継続。
2000年 第二次インティファーダ =輸出・出稼ぎ制限
2001年 9・11事件、アフガン戦争 =空爆、指導者の暗幕
2002年 西岸・ジェニン難民キャンプの破壊
2003年 イラク戦争 継続する隔離政策、家の破壊
2004年 アラファト議長 逝去
2005年 ガザ地区から入植地撤退 なおも隔離政策・封鎖は続く
2006年 パレスチナの選挙で﹁ハマス﹂が圧勝 =国際社会化からの支援停止
2007年 レバノン侵攻
2008年 ガザ・エジプト国境フェンスを爆破
イスラエル軍 空爆・地上侵攻、
同3月 対イスラエル強行派ハマス
同6月 ハマス政権とイスラエルの休戦協定、﹁封鎖﹂はなおも続く
同12月 休戦協定の終結※﹁イスラエル・ハマスの言い分﹂
イスラエル軍 空爆・地上戦︵12月末?1月19日?現在︶
年表の基礎資料は特活パレスチナ子どものキャンペーンによります
イスラエル側の主張はイスラム過激派ハマスがロケット弾攻撃を始めたことへの報復ということですが、争いにより被害を受けるのは一般市民や弱者であり、そのような事実さえも全容が伝えられることがありません。
勝者は敗者の被害をかき消していきます。
争いによってどれほどの一般市民に犠牲者が出たのかが不明であるということは、攻撃を行った側が、その場所を実効支配してしまうからです。
もしもナチスが戦争に勝利していたら、ユダヤ人虐殺という歴史も暗闇に葬られていたのかもしれません。
中東の地に繰り広げられてきた数々の破壊と追放の歴史の全容や、イスラエルがパレスチナ人のあらゆる交通・物流を制限し、居住区に押し込めているということがあまり報道されないということも、その裏には中東戦争における勝者であるイスラエルがパレスチナの歴史を闇に葬っていった︵いる︶ということが第一にあるようです。
一例として、昨年末から始まったイスラエル軍による空爆及び地上攻撃により、援助関係者、ジャーナリストもガザへ入ることが不可能となっています。
私たちは、そのような情報に耳を傾け、この困難な問題を公平に判断し、国際世論に訴えかけていく必要があるでしょう。
一般市民に襲い掛かる悲劇を速やかに終わらせるためには、まずは﹁封鎖解除﹂が前提条件となるでしょう。
﹁封鎖﹂が解除されなければ、パレスチナ自治区の生活は一向に改善されません。
どちらが正しい、間違っているということではなく、まずは中東で何が起こっているかということに﹁関心﹂を向けること、それが私たちの出来る第一歩なのだと思います。
追記
イスラエル総
選挙 募る危機感、右傾化加速
10日投票のイスラエル総選挙は、右派勢力が国会の過半数を獲得した。リブニ外相率いる中道政党カディマはかろうじて第1党にとどまる見通しだが、連立政権の枠組みがどうであれ右派の影響力増大は確実で、中東和平への道はさらに険しくなった。パレスチナ自治区ガザからの攻撃やイランの核開発などによる危機意識の高まりが背景にある右派の躍進。外交の最優先課題に中東和平を掲げるオバマ米政権にとっても厳しい結果となった。
︵毎日新聞2009年2月12日︶
パレスチナ自治区に未来はあるのでしょうか・・・
今後の動向から益々目が離せません。