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2008年7月31日
貞昌院では毎週木曜日早朝に坐禅会を開催しております。
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定期的に行うようになって10年以上経過しました。
最初の頃は数名での坐禅会でしたが、今では多くの方に参禅いただくようになりました。
坐禅会に参加されている方より、短歌をいただきました。
思い返せば、さまざまなことがありました。
一句一句読み返すと、そのときの情景が蘇ってきます。
掲載のご承諾を得ましたので、いくつかを抜粋させていただき、ご紹介させていただきます。
<参禅の思い出の歌>
生きている 心の底に 欲が住み 可愛くもあり 煩わしくも
朝まだき 参道通る 息白く 既に入りたる 打座の面影
湧き水の 池面を出でて 跳ね上がる 群れなす鯉の しぶきかがよふ
■ゆめ観音アジアフェスティバル
炎天下 異国の人も 舞ひ唄ふ ゆめ観音の 岩戸開くも
■貞昌院門前
あかときの 打座へ行く道 森の辺に 月あかあかと 沈みゆく見ゆ
打座の淵 幾重の我の 現はれて 大きく小さく 心を揺らす
吾が独り 始めし打座の 年経りて 十数名 友の目すずし
■貞昌院奈良旅行
中宮寺 弥勘菩薩の み前に座して 微笑むみ顔 ただ仰ぎをり
東大寺 阿吽の相の 仁王像 人の心を 透かし見をらむ
幾たびぞ おおきみ仏 仰ぎたり 開けるみ手の 迫り来るらん
興聖寺 道元禅師の 禅の道 萬代かけて つつうらうらに
■ダライ・ラマ法王の講演
夢にまで 現れ出でし ダライ・ラマ うつつにみ声 給わるぞ嬉しき
■貞昌院 打座
堂内に 五観の偈頌の とよもせり いただく朝餉 典座のたまを
結びには 打座で唱えし 経典の 秘めたる法を 説き給ひけり
安楽の 法門へ ただ一筋に 壁に向き合ふ 打座の友びと
非思量 不思量底 思量の辺 あらばやとただ あらばやと経る
己なく み堂の床に おおうみの 黄金に映えて うつつにぞ現るる
貞昌院の 無為の行に 導かれ 十年の打坐 一刻のごとし
今日もいつものとおり坐禅会が開催されました。
かたくなに凍てつく時節ようように ほどける春のいぶき漂ふ
はなまつり誕生佛に合唱し 甘茶を濯ぐ打座のみな人
春おそく忘れず来たり鶯の 朝の読経に合はせ鳴くかも
21.5.16
亀野様
投稿者 参禅者I | 2009年5月16日 15:52
参禅者Iさま
春から初夏にかけての思い出が想起されますね。
いつもありがとうございます。
投稿者 kameno | 2009年5月16日 16:15
かう
あけやらぬ貞昌院の座禅堂 大晦日にぞ香の漂ふ
はつ
21年貞昌院の座禅会 初日に開き大晦日をもや
淀みなく波たたずに流れゆく 時は変われど始原のままに
21.12.31
参禅者1
亀野様
投稿者 Anonymous | 2010年1月 2日 20:41
参禅の思い出の歌
初打坐の 帰路立ちをれば 橋の下 光芒揺らぎ 日の昇りつつ
あかときの 参道凍てつく おほ寒に ソーラ温もる み堂に座して
ひと列の み堂歩む 足裏の 己がなき身の うつつを載せて
言の葉の 命・心と 言ふらめど 形も見えず こころせんをや
鎮もりて よくよく見れば 身のまはり 鳥草木も 生き耀へり
淀みなく 波の立たずに あるがまま 抱き流るる 悠久の大河
平成二十四年二月一日
貞昌院 亀野先生
参禅者1
投稿者 参禅者1 | 2012年2月 1日 14:06