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2007年5月15日
坐蒲棚製作記でご紹介してきました、孟宗竹で作成した棚ですが、竹の切り出しより約3ヶ月経過が経過しました。
今のところ、割れやカビは発生していません。
さて、孟宗竹といえば、道元禅師が中国から日本に持ってきたという説があります。
平安時代初期に創建された、海印寺の十院の一つである寂照院︵京都府長岡京市︶には、﹁日本孟宗竹発祥之地﹂の碑があり、道元禅師が中国・杭州より孟宗竹を持ち帰り当地に植えられたのが日本の孟宗竹の起源とされています。
まあ、真偽のほどは定かではありませんが。
けれども、日本における孟宗竹の歴史というのは、それほど古くはないのですね。
孟宗竹の語源となったのは、孟宗という人物です。
孟宗︵もうそう︶は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍がある筈も無い。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。︵孟宗竹の語源と言われる︶
Wikiペディア
この、二十四孝は、中国の模範にすべき24名の優れた人物です。
落語にも二十四孝のお話がありますね。
この孟宗竹は、その強い繁殖力により、日本のいたる所に見られるようになりました。
しかしながら、その繁殖力ゆえに、広葉樹林の成長が阻害され、竹林に変貌してしまうという被害をもたらし始めています。
次のようなニュースもあります。
竹林広がり被害深刻 熊野古道や神社の森
紀南地方で世界遺産の熊野古道や天然記念物になっている神社の森に竹林が侵入し、害を及ぼしている。白浜町の大辺路﹁富田坂﹂では、イノシシがタケノコを掘るため、大きな穴が開いたり、石畳が動いたりしている。町は﹁このままでは貴重な文化財が壊れてしまう﹂と本年度から本格的な対策に乗り出す。
竹林は、禅に限らず、日本文化に大きく関わってきました。
その竹林が日本の文化遺産をも破壊しつつあるということ、とても皮肉な現象です。
この写真は、天童寺から古天童への道の途中にある孟宗竹の林。
道元禅師が日本に持ち帰ったとしたら、この竹の先祖の種を持ち帰ったのでしょうか。