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2007年2月13日
ある葬儀における一場面です。
一般焼香の始まる直前には既に270人の参列者が並んでいました。
また、新たに1分あたり10人の参列者が加わっていきます。
4つの香炉で、焼香いただくと、45分でその行列がなくなりました。
では、もしも、5つの香炉で焼香を対応していたとしたら、何分で行列がなくなっていたでしょうか。
ただし、一人一人の焼香にかかる時間はみな同じとします。
︵kamenoオリジナル問題︶
この算数の問題は、ニュートン算とよばれているものの一例です。
なぜニュートン算と呼ばれているかというと、万有引力を発見したアイザック・ニュートンにより作られた問題であるからです。
Arithmetica Universalis (Isaac Newton,1707) には、次のような問題が書かれています。
a1頭の牛はb1個の牧場の牧草をc1日で食べつくす。
a2頭の牛はb2個の牧場の牧草をc2日で食べつくす。
a3頭の牛はb3個の牧場の牧草をc3日で食べつくす。
このとき、a1,a2,a3,b1,b2,b3,c1,c2,c3の間の関係はどうなるか。
ただし、各牧場の牧草の量は等しく、また、各牧場の一日の生長量は一定、それぞれの牛が1日に食べる量も一定であるものとする。
冒頭の例のように、身近な例で文章題を作ることができるため、よく用いられたりするのですが、これをどうやって分かりやすく解答に導くかということは、意外に難しいものです。
ニュートン算
ニュートン算は、算数や数学の文章題の種類の一つ。速さや仕事に関する問題の応用ともいえる。
仕事算は、ある仕事を仕上げるための労働力︵人数︶とそれにかかる時間とが互いに反比例する関係にあり、これをもとにして解くものである。これに対してニュートン算では、仕事を片付けている間にも一定の速さで仕事を増やす︵邪魔する︶または減らす︵協力する︶作用が働いているため、単に反比例の考え方をもとにしては解くことができない。
︵WIKIペディア︶
そこで、おすすめの本をご紹介します。
﹃僕って何﹄で第七十七回芥川賞受賞をした三田誠広さんによる著作﹃父親が教えるツルカメ算﹄です。
ニュートン算に限らず、ツルカメ算、和差算、差集め算、流水算から図形問題まで、厳選の24問により、例題を解きながら、長らく忘れていた算数の楽しさを思い出し、勘所を取り戻すことができる一冊です。
小学校高学年のお子さんがいらっしゃる方お父さん向けに書かれた本ではありますが﹁算数・数学なんて実生活には役に立たないじゃないか﹂と先入観をお持ちの一般の方にもおすすめです。
父親が教えるツルカメ算
三田誠広著
税込価格 ‥ \714 ︵本体 ‥ \680︶
出版 ‥ 新潮社
サイズ ‥ 新書 / 177p
ISBN ‥ 4-10-610175-0
本のまえがきからこの本の内容をご紹介します。
まえがき
父親がわが子に算数を教える。
このことの大切さを伝えるのが、本書の目的である。
そんなことは学校に任せておけばいい、と読者は思われるかもしれない。子供の勉強を見てやるどころか、子供が起きている時間に家に帰ることも難しい。そういうお父さんが多いことだろう。
お父さんは忙しいのだ。そのことは、わたしも承知している。お父さんは仕事が第一である。仕事をすることによって、家族の生活を支えているのだし、もっと大きく言えば、社会に貢献し、この国の経済を支えているのだ。
とはいえ、子供を放ったらかしにしておくのは、父親としての責任を放棄することになるのではないだろうか。責任というと大げさだが、子供が立派に成長してくれないと、お父さんの生活にも危機が忍び寄ってくる。
︵中略︶
ここはお父さんの出番だ。
するとまた読者から、こんな質問が出てくるかもしれない。お母さんではダメなのか。
はっきり言って、お母さんはダメだ。お母さんは子供との間に距離をとることが難しい。何しろ自分が産んだのだから、子供は自分の体の一部だと考えている。子供が思いどおりにならないと、すぐにキレてしまう。算数を教えるためには根気が必要だ。算数を教えるのに、お母さんほど不向きなものはない。だからこそ、お父さんががんばらないといけないのだ。
小学生に算数を教えるというのは、お父さんにとっては、子供とのコミュニケーションの機会をもつラストチャンスかもしれない。
親子の断絶、ということが言われる。この場合、子供から拒否されるのは、たいていお父さんだ。母親は、ご飯を作ったりして子供にサービスをする。お父さんは会社で働いて家族を支えているのだが、そういう努力は、子供には見えない。
定年まで働きづめに働いて、それで妻にも子供にも見捨てられる。男の人生は孤独なものだ、と演歌みたいなことを言ってもしようがない。せっかく結婚し、子供を育ててきたのだから、子供たちと長く楽しくつきあいたいものではないか。
お父さんから算数を教えてもらった。そのことを、子供は一生忘れない。子供はお父さんの愛情と熱意に感謝し、算数に関する見識の深さに尊敬の念を抱くだろう。
まずは父親が子どもに勉強を教えることの大切さを説いています。
なるほど。
学校でもなく母親でもなく、なぜ父親が教えることに意義があるのか。お父さんとお母さんの役割の考え方も、極論ではありますが、その理由が妙に納得できるから面白いですね。
親子の断絶は大抵お父さん側。お父さんは孤独・・・・︵せつない︶・・・・そうなりがちだからこそ、コミュニケーションをとる必要がある。
そして、子どもに愛情と情熱を注ぎ、尊敬の念を抱かす事ができる、それは父親が子どもに教え、一緒に考えるという構図があるからこそなのです。
とはいえ、なぜ算数なのか。
その点については、こんなふうに答えておこう。
算数は前頭葉を鍛える。
これが、本書の最大のテーマだと言っていい。前頭葉って何、などととぼけたことを言わないでほしい。脳の前の方の部分で、注意、思考、意欲、情操などの機能をもつ、人間にとって最も大切な部分だ。最近、ゲーム機で遊んでばかりいる子供は、前頭葉の発達が遅れて、集中力のない、キレやすい人間になる、という問題提起が、脳科学者の間から提出されるようになった。
わたしは専門家ではないから、詳しいことはわからないが、常識的に考えても、子供は成長に応じて心身を鍛える必要がある。適当なスポーツをすることで肉体が発達するように、前頭葉を鍛えるような学習をすることで、脳が発達すると考えていいだろう。
つまり、成長の過程に従って、適切な学習をしないといけない。
よもやと思うのだが、この本を読んでいるお父さんは、こんなふうに考えてはいないだろうか。子供はのびのびと育てるべきで、詰め込みの勉強などは、幼い小学生に課す必要はない。大学進学のための勉強は、中学生になってから始めればいい。
これは間違った考え方だ。
三田氏は↑このように断言します。
この太字部分のようにズバッといいきれる人はなかなか居ません。
昔の子供は、山野で遊んだり、仲間と野球をやったり、それなりに前頭葉を鍛える遊びをしていたから、何の問題もなかったのだが、最近の子供は、友だちと遊ぶことは少なく、部屋に閉じこもってゲームに集中する。その結果、体は育っても前頭葉の発達が遅れる。そのため思考力や情操が育たずキレやすくなっている子供に、中学になってから、高校受験の勉強を強いるとどういうことになるか。
最近の若者が、思考力に欠け、情操も育たず、キレやすく暴力的になっているのも、算数をちゃんと勉強しなかったからだというと、言い過ぎになってしまうけれども、算数というものが、思考力の基礎を育てることは間違いない。
算数は、ただの計算問題ではない。たとえばツルカメ算というものがある。ツルとカメの合計の数がわかっている。足の数の合計もわかっている。そこから、ツルの数、カメの数を求める問題である。
これを解くためには、全部ツルだと考えるか、全部カメだと考える。そういう極端な想定をしてから、最終的な結論に近づけている。こういう思考をたどって正解にたどりつくためには、﹁シミュレーション能力﹂といったものが必要だ。
算数は、シミュレーション能力を鍛える。
科学者も社会学者も、仮説を立て、思考実験と呼ばれるシミュレーションによって、仮説の正しさを実証する。学者だけではない。企業の新製品開発の企画会議でも、社内の合理化のためのプロジェクトでも、営業部の会議でも、必要になるのは仮説を立てて未来を予測するシミュレーション能力だといっていい。その基礎は、算数にある。
算数は、決して﹁拷問﹂ではなく、子供の論理性や自制心を養い、父親の人生観を子供に伝えるための恰好のツールです。
社会の中で生きていくうえで、算数の基礎をきちんと理解しているか、そうでないかで、これから遭遇するであろう様々な場面をどう切り抜けていくのか、そういった﹁生き方﹂にも影響を及ぼしてしまうほどのものなのです。
父親が子どもに教えていくことの一つとして、そして、生き方の智慧として、こういう著作に触れるのも良いと思います。
冒頭の問題のこたえ合わせをされる方は、ここをクリックください。
※なお、冒頭の問題と解説はkamenoオリジナルです。
ご紹介した﹃父親が教えるツルカメ算﹄には、この問題は掲載されておりません。
代わりに、もっと洗練された問題と、解法が掲載されています。