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2006年10月25日
﹁この花は赤い・・・・﹂
﹁赤﹂という概念は﹁赤いもの﹂に共通の概念です。
この場合、抽象的思考作用において﹁赤とは、○○は赤いという個体△が共有する性質である﹂と分析しているわけです。
この概念は、自然数の﹁1﹂を認識する抽象的思考とは性質が異なります。
分かりやすくいえば、赤いかそうでないのかは人の主観によって異なり、その真偽のつけようがないからです。
数学的に言えば、次のようになります。
ある集合 a , b を元とする集合 {a,b} と一対一の対応がある集合を考えた場合、例えば物の数としての自然数の場合は、特殊性を排除した共通性のみを抽象すると、物の性質としての定義ができる。しかし、﹁赤い﹂の場合は、主観が入る以上、定義となり得ない・・・・・
さらに言えば
﹁数学的自然科学が最も強く代表している法則的普遍化認識の型、社会科学や歴史的文化科学に多く用いられている理想的ないし統一的個性化認識の型等、これら全ての現実認識を通じて、結局、自然や社会や歴史の中にある現実の感覚的事実に対して、それぞれ相応した何らかの個性の秩序づけか施されているのを見るのである。要するに、認識とは現実の感覚的事実と理性の思考的秩序との何らかの関係づけに外ならない。﹂ ︵大江精三︶
ということです。
そこで、色彩感覚について、どのように感覚的事実として受け止められ、理性の思考過程の中において秩序付けられて、認識されていくのかを考察してみることにします。
色彩を系統立てて分類する方法についてはさまざまな方法がありますが、その歴史を見ていくと
■アイザック・ニュートン︵1642?1727︶により太陽光線をプリズムによって分解し、スペクトルとして7色程度に分解されることが見出された。
■ル・ブロン︵1670?1741︶により赤・黄・青の基本的なカラーチャートが作成された。
■ヘルムホルツ︵1821?1894︶によりさらに発展した体系が作成された。
という流れです。
色の種類はいくつあるかという事を考えると、それは、色がアナログ的に連続する性質上、理論的には無限の種類があるといえます。
無限に存在する色であるとはいえ、自然界に存在する色は、﹁虹の七色﹂に代表して表現されます。
これは上記のようにニュートンがその連続したスペクトルに7つの色を対応させたことに由来するのです。
さらに、工業的にはスペクトルを120?200程度に分類するのが一般的になっています。
これらを主要な5?8色のカテゴリーに分類して扱っているのです。
その一例を波長の範囲で表すと、赤︵700nm?610nm︶、橙︵610?590︶、黄︵590?570︶、緑︵570?500︶、青︵500?450︶、紫︵450?400︶となっています。
さて、私たちがこのような色を感じる時には、これらの光が眼のレンズを通り、網膜の視細胞︵錐体︶によって色として感じています。
この細胞の興奮が視神経により大脳視覚中枢に伝えられ、はじめて色として認識するのです。
人間の目の網膜のなかには、﹁赤﹂・﹁緑﹂・﹁青﹂の波長に特に対応する3種の錐体が存在します。
いわゆる光の三原色ですね。
この錐体への光の刺激が脳に送られ、脳はその信号の混ざり具合を元に様々な色を識別するのです。
光の3原色は赤・緑・青に限定されたものではなく、他の3つでも色の識別は可能でありますが、人間の進化の過程で、自然界の最も際立った原色を元に視覚系が形成されたと考えられています。
︻ポイント︼ 光の三原色が﹁赤﹂・﹁緑﹂・﹁青﹂である必然性はなかった。たまたま人間の進化の過程でそうなっただけ。
結果として人間は、赤・緑・青に対応する錐体が発達してきました、
このことは、連続した虹のスペクトルの中に際立った色の帯をみる原因となっています。
私たちは連続したスペクトルから赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色を抽出し、色に関する識別を行っているのです。
︻ポイント︼ 虹が連続した色として見えず、特定の色の帯︵虹の七色など︶として見えるのは、3種の錐体のため。
以下、追って、色が人間にどのように認識され、その感覚を﹁ことば﹂に変換していったかを考えていく事にしましょう。
︵続く︶