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2005年4月25日
マンションに激突し、大破したJR福知山線の快速電車︵兵庫・尼崎市で︶
25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市潮江4のJR福知山線塚口―尼崎駅間の第1新横枕踏切の手前で、宝塚発同志社前行き快速電車︵7両︶の全車両が脱線、1両目から3両目は横転して線路脇にはみ出し、先頭車両はマンションに激突、大破した。
快速電車には乗客約580人が乗っており、兵庫県警によると、死者16人︵男10人、女6人︶を確認、負傷者は少なくとも200人に上っている模様。確認された死者はすべて乗客。
兵庫県は同10時、事故対策本部を設置。政府も首相官邸に連絡室を設置した。国土交通省は同日、近畿運輸局に対策本部を設置。担当者を事故現場に派遣し情報収集を進めている。また国土交通省航空・鉄道事故調査委員会も事故現場に調査官を派遣した。
JR西日本によると、快速電車は現場の制限速度は時速70キロに設定されている。実際の通過速度は不明。
乗客によると、この電車は現場手前の伊丹駅で約8メートルオーバーランし、バックして停車し、乗客を下ろすトラブルを起こしていた。乗客らの間で、﹁いつもより速度が出ている。おかしい﹂との声が出ていた。
尼崎市消防局から多数の救急車が出動、大阪市や神戸市もレスキュー隊や救助工作車を派遣した。負傷者は関西労災病院︵尼崎市︶などに搬送した。
快速電車は脱線後、線路脇の乗用車に衝突。さらに1両目が線路東側のマンション1階に激突した。2、3両目は1両目を押しつぶすような形で次々に脱線、横転した。1両目は客車部分と車輪部分が分離し、客車部分は銀色の車体がL字型に折れ曲がり、あめのようにひしゃげた。
現場には乗客のカバンや電車のシートが散乱。線路脇一面にしかれたブルーシート上では、救助隊員らが負傷者の治療に当たった。
衝突現場から南約20メートルに設営された尼崎市消防局のテントには、全身血まみれの乗客が毛布にくるまれて担架で次々と運びこまれた。
ブルーシートの上に寝かされた乗客らは、血が止まらずズボンや服が真っ赤に染まっていた。顔にガラスやプラスチックの破片が刺さっている人もいた。
うつぶせで片ひじをついたまま動かないサラリーマン風の男性は、ネクタイがちぎれ、﹁何や、これ﹂と声を上げた。顔中血まみれで、目の開けられない女性は﹁だれか…﹂とうめいた。骨折したのか、右腕と右足を包帯でつった男性は目を閉じたまま、動かない。
午前10時20分現在、1両目にはまだ乗客が閉じこめられている模様で、救出作業が続いている。
今回の事故について国交省は、重大度に応じて5段階に定めている鉄道事故レベルのうち、2番目に高い﹁レベル4﹂に該当するとしている。滋賀県信楽町の信楽高原鉄道︵SKR︶線で1991年5月、SKRとJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡した﹁信楽鉄道事故﹂に匹敵する大事故と位置づけている。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/jr_fukuchiyama_accident/?1114391966
速報で写真を見ましたが、マンションに電車が突っ込んだ衝撃的な映像でした。
職場の同僚も、会議のため兵庫県の宗務所に向かう途中、ちょうど現場を反対方向に通過する特急列車に乗っていたそうで、停車した列車から線路上に下ろされた時に、遠くに現場が見えたそうです。
詳細は続報で入ってくると思いますが、このように、何百人もの乗客を乗せた交通機関が事故を引き起こすと大惨事となってしまいます。
運転手も運行を管理している側も、大勢の命を預かっているのだということを改めて肝に銘じていただきたいものです。
前の駅を速度超過でオーバーランした挙句、90秒の遅れが発生したため、通常よりも速度を上げて運行していたことは間違いないようです。
日本の列車は、時刻どおりに正確に運行されていますし、それが当たり前になっています。
数分遅れただけで、乗客からは文句が噴出する・・・・・
新人の運転手は、時間の遅れを取り戻そうと焦っていたのでしょうか?
︵この部分は、可能性の一つとして置石も考えられるなど、あくまでも推測の域を出ませんから事故調査報告に注目していきたいと思います︶
続報で、12時30分現在、死者が25名となっていました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
追記
列車事故といえば、鶴見事故が大惨事の事例として挙げられます。
昭和38年11月9日午後9時40分頃、東海道線の鶴見駅と新子安駅の間で国鉄︵現在JR︶の下り貨物列車が脱線転覆した。そこへ、上りの横須賀線の電車が貨物列車に衝突脱線した。さらに下りの横須賀線の電車が衝突し付近は騒然となった。この3重衝突で死者161人、重軽傷者119人の犠牲者を出す大惨事となった。駆けつけた救急隊員や病院の救護班、地元の住民が総出で救助活動したが、現場は血まみれの地獄模様だった。
この現場は、曹洞宗大本山総持寺の目の前だったため、怪我人や亡くなられた方が総持寺の百間廊下に並べられました。
総持寺周辺の住民の方々が、それこそ協力し合って救護に当たったそうです。
総持寺では、今でも百間廊下の清掃︵長廊下を雑巾掛けする︶しているのですが、そのときに長廊下のたたきに水を撒いて筋をつけます。
一説には、埃を立てないという意味のほかに、鶴見事故犠牲者の鎮魂の意味もあると伺ったことがあります。
時代は変わっても、列車事故の悲惨さはかわることはありません。