« 寒緋桜が満開になりました |
最新記事
| 日韓友好が真のものとなるために »
2005年3月17日
今日は彼岸の入りです。
春分の日︵20日︶を中心とした一週間が、彼岸となります。
このあたりは、お彼岸のトリビア(1)をご参照ください。
この行事は、日本独自のもので、聖徳太子の時代に始まり、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したものです。
彼岸とは、この世︵此岸︶に対して、悟りの岸︵悟りの世界︶であり、仏道精進の意とも解されます。
また、彼岸の時期には太陽が真西に沈みますが、この西に沈む太陽を通して西方浄土を観じる、観無量寿経の﹁日想感﹂と、日本の古来からの先祖崇拝とが結びついて、日本独自の彼岸の行事が形成されたといわれています。
参考‥﹃岩波仏教辞典﹄︵中村元 他編︶岩波書店
前述したように、聖徳太子の時代から始まった彼岸は、蜻蛉日記や源氏物語などにも﹁彼岸の入り﹂﹁彼岸のはて﹂としての記述があるため、少しづつ広まっていったことが伺えます。
彼岸の歴史を紐解いてみると、その行事の時期は少しづつ変化しています。暦の日を太陽暦に換算して変遷を見てみましょう。
9世紀?18世紀 宣明暦・貞享暦 この時期の彼岸は、春分︵秋分︶の日から2日後が彼岸の入りで、それから一週間が彼岸とされた。
18世紀?19世紀 宝暦暦・寛政暦 彼岸の時期は定められておらず、年によって変化する。
19世紀? 天保暦 春分︵秋分︶の日を中心に前後3日間を彼岸とした。
参考‥﹃暦と日本人﹄︵内田正男著︶ 雄山閣出版
つまり、現在のような彼岸の時期が定まったのは、天保暦以降といえます。
行事そのものの歴史は深いのですが、その時期は変遷していることはあまり知られていません。
さて、冒頭に述べたように、春分︵秋分︶の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈む日であり、その語源は、春︵秋︶の昼夜平分の日=﹁昼夜平﹂を省略したものです。
つまり、昼と夜の長さが等しくなるのが春分、秋分の日であるわけです。
では、今年の春分の日︵2005年3月20日︶の日の出、日の入りの時間は・・・・・
国立天文台 天文情報公開センター暦計算室
http://www.nao.ac.jp/reki/hdni/hdnih/hdni00h/hdni36051.html
によると・・・
平成17年(2005年)3月20日 横浜 (東経 139度39分 北緯35度27分 高さ 0m)
日の出時刻 5‥46
日の入時刻 17‥53
ん???
昼の長さは 17:53 - 5:46 = 12:07
ということは、夜の長さは 11:53 ですね。
その差は実に14分ほどあります。
トリビア‥春分の日は、昼の長さが夜よりも約14分長い ・・・ 56へぇ
-------------------------------------------
実は、これには理由があります。
第一の理由は、日の出と日の入りの時刻の取り方にあります。
ひので 0 ︻日の出︼
(1)朝、日が東の空に現れ出ること。また、その時刻。天文学的には、太陽の上縁が東の地平線に接する時。
ひのいり 0 ︻日の入り︼
夕方、日が西に沈むこと。また、その時刻。天文学的には、太陽の上縁が西の地平線に接する時。日没。
﹃大辞林﹄第二版 ︵三省堂︶
つまり、太陽が少しでも地︵水︶平線から顔を覗かせた瞬間が日の出であり、太陽が完全に沈んで見えなくなる瞬間が日の入りと定義しているので、単純計算で太陽の直径分、昼の長さが長くカウントされるわけです。
第二の理由は、大気による光の屈折現象によるもの。
これは、﹁大気差﹂と呼ばれ、地平線ぎりぎりにある天体は、大気を斜めに通過していくため、ゆがんで見えます。計算上見えないはずの天体も、光が曲がって到達するために見えるようになります。
大気差により、やはり太陽の直径分ほどの誤差が生じます。
この第一、第二の理由により、合計太陽の直径約2個分、昼が長くカウントされ、約14分の差になって現れるわけです。
ということは、昼夜平分の日はいつなのだろうか????
国立天文台 天文情報公開センター暦計算室
http://www.nao.ac.jp/reki/hdni/hdnih/hdni00h/hdni36051.html
を再び調べてみます。
すると・・・
平成17年(2005年)3月17日 横浜 (東経 139度39分 北緯35度27分 高さ 0m)
日の出時刻 5:50
日の入時刻 17:50
なんと、本当に昼夜平分の日は今日だったのでした! ・・・ 83へぇ