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2005年2月12日
大安、仏滅、友引などのことを六曜といいますが、六曜は特に冠婚葬祭に携わるものにとっては日取りをきめる重要な決め手として用いられてきました。
事実、仏滅の日の披露宴会場はバーゲン価格ですし、友引の日に多くの火葬場が休業しています。
けれども、本来、日取りの吉凶を表す六曜という迷信は、廃して然るべきであるという論議もあります。
例えば﹁友引﹂は、しばしば葬儀の日取りに関係して﹁友引の葬儀は友を引ぐ﹂から縁起が悪いといわれますが、もともと語源を辿ると﹁留連﹂﹁流連﹂と称されていたものが、後に発音の近似な﹁友引﹂へと変化したものに過ぎません。
昨日、このような新聞記事がありました。
六曜記載、人権配慮欠く 大津市が手帳全面回収
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050211-00000079-kyodo-soci
良い機会なので、六曜について考えて見ましょう。
六曜については、SOTO禅インターナショナルの会議でもたびたび論議され、その成果が会報21号に掲載されています。
そこに、六曜の成立ちの記述がありますので、引用します
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六曜の起源は中国宋時代の六壬時課と称する時刻の吉凶占いに求められ、これは入学・求師・任官・赴任等の吉凶に関する迷信であるとされています。
毎日を機械的に小吉・空亡・大安・留連・速書・赤口の日として充当していき、これを参考にして一日の行動を律していくものでありました。
六曜は順番通りに毎日に充当されますが、月ごとに仕切り直しされ、今日でも太陰暦の毎朔日には次のように各月によって決められた六曜が充てられています。
正月朔日・七月朔日 ・・・先勝
二月朔日・八月朔日 ・・・友引
三月朔日・九月朔日 ・・・先負
四月朔日・十月朔日 ・・・仏滅
五月朔日・十一月朔日・・・大安
六月朔日・十二月朔日・・・赤口
ただし上記の名称と順番は、現行のものであり、日本に六曜が鎌倉時代末に伝来して以来、時代を経てその名称も順番も次のように変化しているのです。
鎌倉・室町期 大安・留連・速書・赤口・小吉・空亡
江戸中期 泰安・流連・則吉・赤口・周吉・虚亡
江戸末期 先勝・友引・先負・物威・大安・赤口
現在 先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口
---------------------------------引用ここまで
意外なことに、六曜の割付については、科学的な根拠にもどづいています。
分かりやすく説明すると、旧暦は月の満ち欠けによりますし、六曜はその旧暦の月日によって決定されます。
1月と7月は1日が先勝で始まり、2日以降、友引→先負→仏滅→大安→赤口となります。
2月と8月は友引から。3月と9月は先負から・・・・・
つまり、次のような法則に基づいています。
旧暦︵月+日︶を6で割った余りが、赤口は1、先勝は2、友引は3、先負は4、仏滅は5、大安は0。 どうです、実に明確な法則だと思いませんか?
あまりにも明確な法則なので、以前プログラムを組んだものがあります。宜しければ遊んでみてください。
http://teishoin.sakura.ne.jp/i/rokuyou/
さて、このように考えると、六曜は、いわゆる六壬時課とか陰陽道というよりは、むしろ日、月、火・・・の七曜と同様に、日の並びに名前をつけて、ただ並べたけと考えるのが妥当でしょう。
そこに、語呂合わせの言葉遊びが加わって、
先勝 万事 あさよりひるまでにすればさわりなし ひるすぎより日暮まではわるし
友引 うまのときわろし 此日 そうれいいたすべからず 大にいむべし
先負 万事あさよりひる迄わるし ひるすぎより日ぐれまでさわりなし
仏滅 悪日なり よろずもちゆべからず
大安 大吉日なり なにごともよろずよし
赤口 此日もあく日也 よろずいむべし ただし うまのとき一ときさわりなし
このような意味づけが為されました。
人々を惑わしたり、社会に実害をもたらすのであれば廃さなくてはなりませんが、六曜の問題点を、その成り立ちから考えるに、六曜そのものが問題なのではなく、その語呂合わせにより、後付で妙な意味づけをしてしまう部分にあるといえます。
伝統的な英知を探ることなくして短絡的に﹁迷信だ﹂﹁適切でない﹂と見徹すことば、あまりにも乱暴すぎますね。
興味のある方は、日、月、火・・・の七曜の歴史についても調べてみるとよいでしょう。
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投稿者 日本ドラマ | 2014年10月10日 17:07