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曹洞宗の大本山は永平寺と總持寺の2か寺が両大本山となっております。
このうち、大本山總持寺護持のための組織として總和会があり、毎年関東一都七県で持ち回りで関東大会が開催され、関東一円より関係僧侶が参集・研修と親睦を深めます。
今年は第62回大会、茨城県が担当となり、大洗ホテルにおいて開催されました。
大会テーマ 「傳燈」~御両尊に思いをよせて~
瑩山禅師の著書『傳光録』に示されるがごとく、瑩山禅師は釈迦牟尼仏より五十二祖に亘る相承を尊ばれ、御生涯に衆生済度の誓願を貫かれました。
二祖峨山禅師は、瑩山禅師の み教えを相承し、人材の育成につとめられ、今、二祖峨山禅師六百五十回大遠忌を越えて太祖瑩山禅師七百回大遠忌に至る十年(平成27年から36年)を御両尊大遠忌法会とするは、當に大本山總持寺の「傳燈」といえます。
只管「傳燈」を相承し「御両尊に思いを寄せて」精進を重ねることこそ、より良き未来へ邁進する總和会の綱領であります。
第1部
開会式では開会の辞の後
開催権茨城県支部長老師導師により佛祖諷経が営まれました。
法要に引続き災害物故者・總和会会員物故者追悼黙祷。
大本山總持寺貫首 江川禅師よりの御垂示、石附副貫首老師の祝辞
乙川監院老師、鬼生田総和会会長老師祝辞と次第が続きました。
第2部では、記念講演として
大本山總持寺責任役員・明治大学名誉教授 圭室文雄先生による「近世における大本山總持寺の展開」のご講演が行われました。
大本山總持寺は、1321年現在の輪島市門前に開創以来1910(明治43)年までの590年間能登半島にあり、1898(明治31)年に大火により伽藍の大部分を消失した後、1911(明治44)年に横浜・鶴見に移転します。
その後107年が経過しており、旧地は總持寺祖院が存在しています。
その總持寺祖院に保存されている22,595点にものぼる膨大な資料「總持寺祖院古文書」を調査・整理され、昨年末まとめあげられた研究成果をご講演いただきました。
内容は
■曹洞宗寺院の石川県域への進出
・大乗寺、永光寺、總持寺への系譜
■總持寺と永平寺の両本山体制
・僧録寺院の設立、両大本山の末寺数、總持寺輪番住職排出寺院、関東地方の法幢地寺院、永平寺の歴代住職と関三刹の関係
■總持寺の経営と山内・門前の居住者
・總持寺の塔頭、總持寺の年間収入と臨時収入、總持寺の年間支出と臨時支出、總持寺山内の居住者、門前の居住者
などを資料を元にわかりやすく読み解き、お話いただきました。
史料に基づいたお話は説得力もあり、とても学びの多い時間でした。
總持寺の御移転に尽力された石川素堂禅師の大遠忌日もまもなくやってきます。
歴史と傳燈の重みを感じながら、その日を迎えたいと思います。
末筆ながら、大会運営を恙なく遂行されました茨城県の皆様に心より感謝申し上げます。