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関東管区役職員人権啓発研修会として、群馬県草津にある国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園方面へ出かけておりました。
宗務所の役職員、人権委員は、定期的にこのような研修を行なっています。
ハンセン病は「らい菌」により引き起こされる病気で、かつては「らい病」と呼ばれていました。
現在では「らい菌」を発見したノルウェーの医師ハンセンの名にちなんで「ハンセン病」と呼ばれています。
日本では、今ではハンセン病にかかる人は年間ゼロから数名程度と極めて少なく、万が一発症しても、有効な治療薬により病気そのものは早期発見と適切な治療で確実に治ります。
しかし、治療薬が無い時代には、外見の変形を起こすことや、重い後遺症を残すことがあることから、患者は人権的に大きな侵害を受ける生活を強いられてきました。
日本においてはハンセン病隔離政策により、多くの患者が入所を強制され、戦時中にアメリカで開発されていた特効薬プロミンが投与されることもなく、ハンセン病はつい最近まで隔離政策による差別を受けてきました。
現在13の国立療養所と1の私立療養所が現存しており、完治した後も後遺症により介助を必要とされている方、家族・親族との関係が絶縁のために入所継続が必要な方(帰る故郷を失った方)など、まだ療養所には多くの方々が暮らしております。
中央会館で、栗生楽泉園自治会長 藤田三四郎氏のお話を伺いました。
その後、納骨堂前で法要をさせていただきました。
栗生楽泉園で亡くなられた方々は、かつては町の火葬場で荼毘に付すことを拒否され、園内に設けられた火葬場で、患者たちにより荼毘に付されたそうです。
納骨堂前には、2006年に建立された堕胎児之碑があります。
この堕胎児之碑には「命カエシテ」という文字が刻まれています。
国から「堕胎児」という言葉から「堕」を削除するよう申し入れがあったそうですが、自治会としては「強制的に堕胎させられた」歴史をきちんと伝えるということを主張し、自治会の主張通りの名称となったそうです。
ハンセン病胎児慰霊祭 草津できょう 「堕」の字削除、納得いかぬ=群馬
◆入園者反発
ハンセン病のため、国の隔離政策で強制的に堕胎させられるなどした胎児や新生児26体の慰霊祭を7日に行うことにしている国立療養所「栗生楽泉園」(草津町草津)で、慰霊祭の名称などを巡って、入園者でつくる自治会が園側の対応に反発、抗議声明を出す事態になっている。
6日、県庁で会見した自治会の代理人などによると、慰霊祭の名称については、園側は「胎児等合同慰霊祭」とするよう提案したが、自治会が「強制的に堕胎させられたことが問題」として「堕胎児合同慰霊祭」と主張。また、ハンセン病訴訟弁護団の代表による「慰霊の辞」も行うべきだとし、協議の結果、自治会の主張通りで合意したという。
しかし、数日後、同園の東正明園長から、自治会に対し、厚労省から『堕』の字を削除し、慰霊の辞も断るようにとの要請があり、要請を受け入れざるを得ないと説明があった。自治会は、園長の立場に配慮して受け入れを決めたが、2日、「この慰霊祭は納得いかぬまま開催され、納得いかぬまま出席する」などとする抗議声明を厚生労働相などに送った。
東園長は、取材に対し、「合意した覚えはない。交渉の途中で国に相談したことはあったが、(それで名称を)覆したわけではない。もともと『胎児等』と言ってきた」と話し、両者の言い分は食い違いをみせている。
(読売新聞 2006/11/7 朝刊)
栗生楽泉園で合同慰霊祭 位牌には「堕」の文字、 抗議声明反応なく/群馬県
草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」で7日、中絶された胎児や新生児の合同慰霊祭があった。正式に追悼できたことを安堵(あんど)する声がある一方で、入園者らには厚生労働省の対応への不満も残っている。
慰霊祭は、同園で中絶されたとみられる男の子の胎児標本が都内の研究所で発見され、同園に戻ったことから実現した。カルテの記録と入園者の記憶から、中絶されたとみられる26人が、一緒に弔われた。この26人については一部標本が残っていたものの83年に焼かれてしまったため、式壇には木製の位牌(いはい)が置かれた。
入園者、職員ら約150人が参列。厚労省からは、当初、大臣か副大臣が出席するとされていたが、国会会期中のため、関山昌人国立病院課長ら3人が出席した。
自治会は2日、「慰霊祭の名称に堕胎児という言葉を使わないようにと厚労省から干渉を受けた」として同省に声明文を送っていたが、特に厚労省側から説明はなかったという。藤田三四郎自治会長(80)は「大臣が来るなら式の後に懇談したいと申し入れていたが、残念だった」と話す。位牌(いはい)には「堕胎児之霊位」と記し、来年建てる慰霊碑にも「堕胎児」という言葉を使う予定だ。「声明への答えもなく、一つの節目が終わったが、なんだかすっきりしない」
◇
慰霊された新生児の中に、入園者で詩人の桜井哲夫さん(82)の娘、「真理子」さんがいる。人工早産の後しばらくは息があり、桜井さんは、砂糖水を作って飲ませたり、抱いて寝たりしたという。標本室からこの子の泣き声が聞こえるという詩、「津軽の子守唄(うた)」も作っている。出席者の中で、慰霊される子どもの実の親は桜井さんだけ。祭壇に置かれたつぼの中には、26歳で亡くなった妻の骨と、自分のロザリオを入れた。自分も最期を迎える時は、一緒に故郷青森にある墓に入りたいと思っているという。
(朝日新聞 2006/11/8 朝刊)
ハンセン病療養所では、かつて「らい予防法」により入所者は断種手術が義務づけられていました。
女性が妊娠した際には、堕胎を強要され、多くの胎児が研究目的のためにホルマリン漬けの標本にされてきました。
何ともやりきれない事実です。
また、療養所では過酷な環境のために患者の逃亡や反抗も頻繁におきました。
このため、栗生楽泉園では、特別病室という名の「重監房」が設置されておりました。
重監房は昭和13年から22年まで使用され、その9年間に延べ93名が「収監」され、うち23名が亡くなったと言われています。
その歴史を伝えるために今年(2014年)「重監房資料館」が完成しました。
資料館の中には、重監房が再現されており、どのような状況で「収監」されていたのかを体感することができます。
正式な裁判もないまま収監されてきた患者たちの思いはどのようなものだったのでしょうか。
ハンセン病重監房の記録 (集英社新書 (0339)) [新書]
宮坂道夫著
新書: 190ページ
出版社: 集英社 (2006/04)
ISBN-10: 4087203395
ISBN-13: 978-4087203394
発売日: 2006/04
■関連リンク
国立ハンセン病療養所 栗生楽泉園 http://www.nhds.go.jp/~kuriu/
重監房資料館 http://sjpm.hansen-dis.jp/