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一般社団法人として新年度をスタートした仏教情報センターの平成24年度総会、および相談員研修会が開催されました。
新しい規約のもと行われる初めての総会ですので、予定時間を超過するほどの審議がなされ、各号議案とも無事議決されました。
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その後、仏教伝統各宗派相談員参加による相談員研修会が行われました。
研修会は定期的に行われていますが、今回は飛騨千光寺住職・日本スピリチュアルケアワーカー協会の大下大圓師による講演を主体にした研修会でした。
『聴くと利く~自利利他の縁生から』
講師 飛騨千光寺住職・日本スピリチュアルケアワーカー協会 大下大圓師
大下師は、12歳で出家され、高野山で修行、スリランカへ赴くなどされた後、飛騨千光寺に入られます。
千光寺の本堂は400年前に武田勢に焼かれた後、現在にかけて復興中・・・という紹介とともに、円空仏たちをご紹介いただきました。
なお、千光寺の64体の円空仏が、来年「千光寺円空展・64体の円空仏」ということで、国立博物館に出展されるとのことです。
講演は、まず大下師の活動の紹介から始まりました。
高山市久美愛厚生病院の緩和ケア病棟(PCU23床)や高桑内科クリニックと連携したビハーラ飛騨、ホスピス、いのちサポートでは、作務衣のままいのちに寄り添うスピリチュアルケアを実践され、がん末期患者に寄り添いながら瞑想と祈りを行っています。
そこには、明確な宗教的行為があります。
そもそも仏教とは、生老病死に出会うことによって、そこからどう生きるかということをその根源としています。
生をどのように生きるか、死をどのように迎えるかということは、ウエルビーイングの重要な命題です。
しかし、現実問題として、医療の場に宗教行為を持ち込むことには、困難と問題があります。
それをどのように考え、解決していくのかが、今回の講義の重要なポイントでした。
仏教は「生死を歩む人の今に寄り添い、縁の力を最大限に生かし、その人の自己のいのち、人生を統合することを扶助する」ということを根源とします。
東日本大震災での事例では「祈りから始まった学生ボランティア活動」を例に出されていました。
能登地震、新潟中越地震等で培われた経験を元に結成された高野山足湯会は、東日本大震災でも現地に即応した活動をされたそうです。
避難所でのサロン、足湯会、おちゃっこ等々・・・・何度も足を運ぶ中で、現地と僧侶との縁も深まり、広がっていきました。
足湯には、受身ながらも、そこに一歩踏み込むコミュニケーション生じていきます。
そのうちに、師が教鞭をとられている名古屋大学や昭和女子大学の学生たちも、この足湯ボランティアに赴くことになったそうですが、被災地の現状を見るにつけ、学生たちはどのように行動したらいいのか分からず、最初は戸惑っていたそうです。
しかし、ある学生から、まずはお祈りしよう、という提案があり、浜辺に流木を立てて「般若心経」を皆で読経し、心から合掌をしたところ、心の閊えが取れて、足湯活動をスムーズに行うことができたということです。
普段、信仰心も持たないように見える学生たちがそのような行動をとったのは何故でしょうか。
やはり、祈りの力、お経の力は大きいのです。
現地で活動する中で、ケアをする人たちへの支援活動という新しい活動も生まれました。
これも、普段医療関係の施設で活動されている大下師の縁による広がりの一つです。
県立大船渡病院、釜石病院などでは、「自分は医療者で人を助ける立場にありながら、家族のケアをできなかった」と悩む医師が心の深い傷を負っていたりします。
厚生労働省災害時地域精神保健医療活動ガイドラインによると、このような「援助者が受ける3つのストレス」というものがあります。
1 危機的ストレス
生命の危機を伴うような重症な出来事、危機的体験からくるストレス。トリアージの重い断、責任の重い決断、任務の失敗等々によるもの
2 累積的ストレス
不快で危険な環境での救護活動の困難さ、任務上のプレッシャー、被災者から感謝されない、逆に恨まれるという体験、倫理的なジレンマ
3 基礎的ストレス
救護活動という特殊な状況下での共同生活では、睡眠や休息が十分にとることができない、人間関係がうまくいかないなど
このような悩みを抱え込む医療者が潜在的な数を含めると非常に多いのです。
ケアする人たちへの支援活動は、とても重要な分野であります。
今後にむけた活動としては、PTSD、サイコロジカルファーストエイド トラウマ体験の成長をいかに抑制し、克服するべきかという災害教育、こころのケア教育 スピリチュアルケア教育、グリーフケア教育ということが重要でしょう。
東北大学では、臨床宗教師を養成するコースも設立されています。
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東洋の思想に深く根付いてきた「いのち観」や東洋独特の「文化、救済論」があります。
村上和夫先生は、ヒトのDNAが30億もの情報を持ち、これが文化的情報として基層文化を形成すると述べられています。
日本人の宗教観を育んできた基層文化思想は、古来より継承されてきた日本の精神性、多元曼荼羅思想(共利群生)を生み、そこに神道・儒教・道教・仏教が融合していきました。
さらに時代が下り、キリスト教、新興宗教群と、東西融合と統合性のあるスピリチュアリティーが育まれていきます。
先の学生たちが、被災地での活動の前に祈りを捧げ読経したという行為は、精神の基層に刻まれた古来から継承されてきた精神性が想起されての行為だったのでしょう。
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講義の中で、医療行為と宗教行為はいかに共存するかということに触れられました。
その一つのヒントが『律蔵 大品』にある「比丘たちよ、私に仕えようと思う者は、病人を看護せよ」や、涅槃経にある「修行僧たちよ。これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは、清浄な行ないが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである」というものです。
他者を援助する大切な心を、絆-縁-縁生をもとにいかに実践していくか、絆、縁を深め高めあう関係性をどのように広げるかがポイントになるでしょう。
『律蔵大品』の縁起法頌には自縁、他縁、法縁が説かれています。
自縁ー天上天下唯我独尊 尊厳ある私のいのち
他縁ー他縁大乗心 いのちあるすべてのものとの関わり
法縁ー宇宙普遍の真理、統合性、根源的な大いなるいのちとの融合
自分と他人との関係性だけでなく、いかに法縁を説いていくかということが「ケアと対人援助に活用する瞑想療法」として、心を分析して細分化するのではく、クライエントを統合的に受け止める度量を生む源となります。
「医療」とは、客観的、確実的、再現的、事象的な態度で進めていきます。
対し、「宗教」とは、直観的、教義的、儀式的、伝統的なものです。
この相対すると思われる2つの部分を繋ぐ役割をするものが「スピリチュアルケア」なのです。
「スピリチュアルケア」は「臨床宗教」とも訳され、観察的、希望的、伴走的、統合的な性格をもちます。
これにより、医療の分野に宗教の援助が入る余地が生み出されます。
もう少し砕けて表現すると
「医療」は対象者の心身に積極的に関ろうとする行為(医学による援助)
「宗教」は対象者と一緒に祈りを表に表す行為(スピリチュアルな援助)
です。
これらが統合的なケアとして形成されると
医師・看護師は身体的ケア
医療社会福祉士、家族、ボランティアは社会的ケア
看護師や心理士は心理的苦痛のケア
宗教者はスピリチュアルケア
といった方向からかかわり、統合的にクライエントをケアすることが出来るようになります。
さらに、リスボン宣言(患者の権利に関する世界医師会(WMA)リスボン宣言)では「患者の権利」として、「宗教的ケアを受ける権利」が謳われています。
すなわち、患者が望めば、宗教的ケアを患者に提供することは保健医療会の義務なのです。
宗教行為が医療の場から排除される理由は、そこにはありません。
そうなれば、統合的ケアにむけて僧侶の役割は重要であるということがいえます。
テレフォン相談の相談員としての基礎的な最低限の教養も身につけることが必要でしょう。
まずは、クライエントのこころの叫びを聞くことから。
1 聞く(=hear) 出来事を客観的に聞く。事実関係
2 聴く(=listen to) 相手の心をきく
3 訊く(=ask) 相手のなかにあるものを引き出す、感情を言語化する助け
4 利く、効く(=affect) 新しい関係を生み出す、生きる力、信頼関係を作る
これが、今回講義のタイトルテーマとなっている部分であり、宗教者がスピリチュアルケアに関る中で一番こころに留めておくべき事項であると感じました。
そして、スーパーヴィジョンで指摘されるように、「専門的な支持を得て、職業上の疲弊を避ける」ということが重要なこととなりましょう。
最後に
この記事は、kamenoメモより纏めたものでありますので、詳細につきましては大下師の著書
『ケアと対人援助に活かす瞑想療法』等をご参照ください。