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サイパン一番の繁華街、ガラパンの北東、現在のキャピトルヒルの山の尾根に「日本軍無線基地跡」がひっそりと残されています。
この場所は、メインストリートから外れた場所にあり、道路は未舗装で陥没が酷いため、車ではなかなか行けない場所です。
道路わきにバイクを止め、このような小径を抜けると日本軍無線基地跡が見えてきます。
建物は二階建てで、何棟かが渡り廊下で繋がっている構造になっていますが、長年の経過によって建物の裏側は完全に薮で覆われてしまっています。
内部は二階の床が抜け落ちてしまっていて、ガランドウの状態となってしまっています。
アメリカ軍は、1944年6月に行うサイパン侵攻のために、軍事機密情報の収集に全力を注ぎました。
その結果、各島周辺の潮流、天候、地質、軍事施設、海岸の特徴、水、燃料の状況などを詳細にまとめあげていました。
特にアスリート飛行場周辺、ガラパン市街、タナパグ港、チャランカノア地域の建物一棟一棟に至るまで詳細な地図が作成されています。
↑右図の赤で着色した「無線基地」が、冒頭の日本軍無線基地です。
ガラパン地区は「南洋の東京」と称されるほど近代的で発展した街でした。
↑1930年代のガラパン地区の街並み。
けれども、1944年6月のアメリカ軍上陸によって、ガラパン地区はもとより、全ての街が悉く破壊されてしまいました。
そのため、かつての建物が残されているということは実に貴重なことであるといえます。
アメリカ軍の爆撃を受けた形跡が無く、かつての日本人による建築物でこのような良好な保存状態の建物は、日本軍無線基地跡以外、他に見当たりません。
サイパン随一といえる隠れた史跡です。