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【起動 大震災から3カ月】(上)100日目の供養 「区切り」前へ進むため
遺体安置所となった屋内ゲートボール場で、宮城県気仙沼市の元会社員、熊谷勝彦さん(67)は掲示を目で追っていた。東日本大震災から3カ月を迎えた今も毎日、行方の知れぬ妻を捜して安置所へ通う。妻の知子さん(65)は海沿いの実家へ帰っていて大津波にのまれた。編み物や、花を育てることが好きだった。庭には菊が10鉢ほど残されている。
「ここへ来ても無駄のようだけど、自分が確認せねばと思い、来てしまう」
市内の死者は973人、行方不明者は477人。気仙沼署によると、新たに見つかる遺体は1日1、2体にまで減った。警察署も被災し、笹原隆二副署長はプレハブの仮庁舎で「3カ月ですよ。見つかっても白骨化している」と話した。
11日からは、不明者の家族へ遺族年金や労災保険の遺族補償が支給される。5月に成立した特別財政援助・助成法により、家族から申請があれば、不明者を11日をもって死亡したとみなす「3カ月推定」が適用されるためだ。市町村は3カ月で不明者を死亡とみなし家族へ災害弔慰金を支給する。
熊谷さんは、白い野の花が咲く安置所で訴えた。
「親類もよかれと思って葬式の話をしてくる。世間的にはどこかで線引きしないといけないのも分かる。でも3カ月でと言われても心は区切れない。さみしさ、苦しさは途切れない」
■三陸津波の犠牲者も
震災による死者と不明者の周りには何倍もの家族がいる。友人、知人がいる。
気仙沼市北端の半島部、リアス式海岸の入り江にある浜の集落で家を流され、避難所で暮らす鮮魚移動販売業、佐々木政春さん(64)は「知人の携帯へ電話をかけるのが怖い。本人が生きていて電話に出ても、奥さんや子供が亡くなったり、行方不明だったりしたら、『よかったね』とは言えない。まず共通の知人へ安否を確かめてから本人へかけるようになった」と話す。
3カ月が経過したからといって、気持ちの整理がつくわけではない。悲しみや不安が押し寄せ、心を激しく揺さぶる。ただ、そうした中でも「区切り」を意識しはじめた人々はいる。
半島部では今月19日、中心部にある寺で「御施餓鬼(おせがき)」と呼ばれる法要が行われる。震災から百か日の節目として営まれるという。
御施餓鬼は、この地方では、漁船の海難事故で死んだり、行方不明になったりした漁師らを供養する儀礼だ。浜に祭壇を組むことが習いだが、今回は人数が多く、寺で合同で行うことになった。「平成23年3月11日精霊」をはじめ明治29年と昭和8年の三陸津波の犠牲者らも併せて供養する。
なぜ百か日なのか。高台の避難所で、浜の古老たちは口々に言った。
「海の者は昔からそうやってきた。3カ月もたつと見つからないし、見つかっても確認できない。だから百か日をめどにする。前に進もうとするためには何らかの区切りが必要になる。ご家族には申し訳ねえが、それであきらめてもらう」
■もう泣いた顔見せない
合同法要に先立つ11日、避難所で百か日供養を営み、集落として不明者を「故人」とする浜もある。
浜では16人が津波に流され、9人が遺体で見つかった。集会所で避難生活を送る主婦、村上あや子さん(69)は震災1カ月の4月11日、長机を2つ合わせて白いシートをかぶせた仮の祭壇をこしらえ、菊の花や果物、だんご、茶菓子などを供えた。この2カ月、毎朝6時に祭壇を海を見下ろす場所へ移し、お経を上げて死者を供養した。鐘を鳴らして不明者の名を唱えた。鐘の音に不明者が呼び寄せられるのだという。
「早く上がってください。早く上がってください…」
いまだ行方不明の7人の中に、中学2年と小学6年の子供を残した玉川恵さん(38)がいる。誰にでも優しく、責任感の強い女性だったという。
恵さんと親しかった主婦、鈴木富美さん(37)は「ご家族はあきらめきれないと思うし、私もあきらめられない。思いだすとつらい」と話し、エプロンのすそを握りしめて、こう続けた。
「でも、それではいつまでも前に進めない。恵さんの子供たちにも、私たちが泣いている顔をいつまでも見せられない。区切りをつけることは決して、恵さんを忘れることではない」
(産経新聞 6月11日)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110611-00000121-san-soci
本日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)発生から100日目を迎えます。
改めて犠牲となられた方々に弔意を表します。
法律は無情ですね。「3カ月推定」や「3カ月相続放棄の申述」など、淡々と事務手続きが行われていきます。
以前、ブログ記事 年回法要にまつわるお話 で書いたように、年回法要のうち、100日目に営まれる法要のことを卒哭忌(そっこくき)とも言います。
文字通り、哭(な)くことを卒(お)さめる忌日の意味があります。
東日本大震災では、未だに8000人を超える生死不明の方々がいらっしゃいます。
そして、震災でお亡くなりになられた方々、不明者の周囲には、その何倍もの家族、親類、知人・・・がいらっしゃいます。
被害の甚大さを鑑みるに、卒哭の意を素直に受けることができない方もまだ多いことと存じます。
被災地から離れた場所にいる者としては、ただただ震災で犠牲となられた方々に弔意を表し一日も早い復興を願いたいと思います。
横浜市南区のS寺に有志僧侶が集まり東日本大震災物故者卒哭忌法要を営みました。
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追記:貞昌院の前を通る永谷川の護岸も、東日本大震災により崩れてしまい、現在も修復工事が続けられています。
幅広い範囲で大きな被害が出でいることを実感します。