横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム報告

横浜写真アーカイブ協議会主催の「よみがえる昭和 港・まち・くらし~横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム」が開催されました。
私もパネラーとして参加いたしました。

会場となったのはヨコハマ創造都市センター。
かつての第一銀行横浜支店。いつ訪れても素敵な建物です。

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2009年、横浜開港150周年(Y150)の年にはじまった「みんなでつくる横濱写真アルバム-市民が記録した150年」プロジェクトは、市民、企業、行政などから約6,000枚にも及ぶ横浜の「記憶」を刻んだ数多くの写真を発掘し、デジタルアーカイブ化するという成果を残し、運営主体が「横浜写真アーカイブ協議会」に移されました。
今回のシンポジウムは、これまでの活動を踏まえ、新たな事業展開に向けて組織基盤を固める上で重要なステップとなるものです。

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主催者代表挨拶では、これまでの活動経緯を紹介され、写真はただ集めて保存するだけでなく、人々の暮らしの移り変わり、個人の記憶・・・・写真に刻まれた「物語」を掘り起こすという作業をして行くことが写真アーカイブの意義であるとされました。


写真家の五十嵐英壽さんと横浜市民メディア連絡会代表の和田昌樹さんによる対談。
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五十嵐さんは嘗て神奈川新聞社の写真部に所属されており、公私に渡り数多くの写真を撮影されてきました。
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特筆すべきは、一枚一枚の写真に関する取材メモの数々です。
花咲町にあった「くすぶり横丁」・・・食堂街は焼き鳥と呼ばれた鯨肉を焼く煙で充満していた。そういえば「くじら横丁」という別名もありましたね。
都橋、馬車道キャバレーオリンピック、チャーチル絵画展、横浜港に荷卸されるユニセフから送られた給食用脱脂粉乳。
「えっさっさ」と呼ばれる港の積み下ろし人夫。
野毛農兵節、国立日本水上学園、埋立てられる横浜港・・・・
一枚一枚の写真を撮影者本人からの詳細な説明は新たな発見も多く、有意義なものでした。


引続き、活動紹介で、水島久光さんは、「アーカイブの地域公開ストラテジー」という点について、北仲スクールの授業内で制作された作品をもとにアーカイブを地域につなぐ実例を紹介されました。
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最後のプログラム、パネルディスカッションが横浜市民メディア連絡会代表の和田昌樹さんを座長に行われました。
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「記録されないものは記憶されない」
写真は、かつて結婚式や七五三、お正月といったハレの日でしか使うことのできなかった貴重品でした。それゆえに大切に扱われてきた面があります。
カメラが手軽に手に入るようになって、写真は私たちの生活の中にごく当たり前のように取り込まれていき、デジタルカメラ、ケイタイ・・・・気軽に撮れる反面、写真が消耗品となってしまい、撮影した大量の写真が整理もされずに棄てられるようになってしまいがちです。
写真は元来「振り返りのツール」であると和田さんは指摘されます。
振り返り、過去を知ることによってこれからを考える、人づくり、街づくりに繋がっていくものです。
パネルディスカッションでは写真アーカイブの大切さを改めて確認し、横濱写真アルバムの今後の展開の方向性を固める意味をもつものでした。

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このシンポジウムの様子は横浜放送局によりストリーム配信され、Twitterにより「つぶやき」もリアルタイムに集約されました。

ハマッチSNS横浜ストリーム

Twitterに寄せられたコメントの一つに
「メタデータに関して、あまりにも学術文化的な「項目(フィールド)」で考え過ぎてはいないだろうか? 市民参加のアーカイブであれば、ひとつひとつに自分の想いを語り、記録すればいい。」というものがありました。

そうなんですよね、冒頭のプログラム、五十嵐さんの写真でも個人的に想いのある写真が何枚かありました。
例えば

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本牧・間門を写した写真。対談中では触れられていませんでしたが、そこにはかつてここにあった「間門飛行場」が映っていました。
後で自分のブログ記事を確認してみましたが、やはり、同じ場所であることは間違いありません。
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住民からの猛烈な反対がありながらようやく完成した臨港鉄道を走る一番列車。
この路線を最後のSLが走った日(開港120周年)に、私は同じ場所に見に行きました

横浜港を出港するナホトカ号の写真では、この時期ここからシベリア鉄道を目指し、世界一周を試みた若者がたくさんいたという話もあり、四十数年前に弟子丸泰仙師は同じ時期に船で渡ったのだな~と感慨深い思いをしました。
ナホトカ号の乗客リストもきちんと残されているので、きっと弟子丸師の名前もきざまれていることでしょう。

 

・・・パネルディスカッションの中の一つのテーマが、写真に付随する「メタデータ」についてでした。
五十嵐さんのように写真の裏に詳細な書き込み、メモを残される方もいらっしゃいますし、全くメタ情報の無い写真もある。
ただ、言える事は写真を共有することにより、その写真から受ける感情は人それぞれであり、写真の背景を詳細に知る人も居るはずです。
その写真に寄せられる情報を集約して纏めることにより、写真の価値はさらに増大していきます。
写真を如何に多く集めることが出来るか、メタデータを如何に集めることができるかが鍵となりましょう。

横濱、横浜、ヨコハマ、YOKOHAMA・・・横浜を愛する多くの方に支えられたシンポジウムは、多くの学びを得ることができた有意義なものでした。

準備、運営に携わった皆様に心より感謝申し上げます。

投稿者: kameno 日時: 2011年2月 9日 14:28

コメント: 横浜の記憶を写真で残すためのシンポジウム報告

パネルディスカッションお疲れ様でした。

時代を切り取る記録としての写真の大切さを改めて考えさせるシンポジウムだった様ですね。地域の過去への誘いを何気なく撮った写真が果たしてくれると思います。(地図も同じく時代を切り取るものですが、今月から国土地理院の1/2.5万地図が時代を切り取れなくなる事態になってしましましたが!)

今後地域の中でその写真を如何にして収集するか、聞き取りするかの方策を真剣に練っていかないと、貴重な写真・資料(特に終戦前後の写真等をお持ちの人達が存命中に!)は失われる瀬戸際に立っているのではないでしょうか?

待っているだけでは確実に失われていくでしょうね!

投稿者 ハマちゃん | 2011年2月 9日 18:21

ハマちゃんさま
地図も写真同様時代を切り取る大切なツールですね。
戦前戦後の写真は、お持ちの方が亡くなってしまうと遺品として処分されてしまうことが多いようです。
また、最近の写真、特にデジカメやケイタイで撮影された写真は、それらを収集することが難しくなっていくことが懸念されます。
積極的な働きかけが必要な時代にさしかかっていることを実感します。

投稿者 kameno | 2011年2月11日 11:24

ハマちゃん、亀野さん こんにちは
私は、先日のシンポジュウムに出席をしていて、感じました。「記憶を記録として残す」には、1枚の写真や地図等の資料がヒントとなり、そこから話題の輪が広がって行く事が大切と思いました。
先般の自性院での街の古老の方々とのお話は話題が尽きる所はありませんでした。確かに、1枚の写真に記された撮影場所と撮影日の記録は大切な事です。しかし、それ以上に、その写真を見た人達がその写真を基(種)にして、過去の記憶を思い出して、その「記憶を記録として残す」事の大切さを皆さんと認識を共有し、確認をして活動を進めて行きたいと思いますので、宜しくお願い致します。
この亀野さんのブログでは、当にその事を物語っていると思いました。

投稿者 ちのしんいち | 2011年2月11日 14:39

ちの様
先日はお世話になりました。
一つのコンテンツから広がる話題は尽きることが無いですね。
その機会を可能な限り作り出していくことは大切な活動であると考えています。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2011年2月11日 23:36

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