百年前の總持寺のにぎわい展


鶴見大学仏教文化研究所・鶴見大学生涯学習センター共催による「百年前の總持寺のにぎわい展」が鶴見大学会館センタープラザで開催されています。

このパネル展は、明治44年11月5日に大本山總持寺御移転(大本山總持寺が石川県から横浜市鶴見区に移転)してから来年で100年となることを記念し開催されているものです。

本日(11月9日)から26日まで、午前9時から午後6時まで(土日は午後4時まで・最終日は正午まで)の開催となります。入場は無料です。

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瑩山禅師によって石川県に開創された大本山總持寺は、当時千三百余か寺の法系寺院を擁しておりましたが、明治31(1898)年4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受けて猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残して伽藍の大部分を焼失してしまいました。
明治38年、本山貫首となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみならず、宗門の現代的使命の自覚に基づき横浜への移転を決定します。明治40年3月に官許を得、成願寺境内地の寄進により建設工事が進み、明治44(1911)年11月5日、遷祖式が行なわれました。

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(地形図・明治39年作図)

總持寺移転前の鶴見近辺の地図を見ると、現在の總持寺の場所にはかつての成願寺、横浜射撃会場などがあったことが判ります。

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成願寺境内図・この場所に總持寺が移転されました。

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(左)建設が進む仏殿 (右)当時の鶴見駅西口

仏殿は明治40年11月7日起工。飛騨の国有林より木材の払い下げを受け、富山・伏木港から横浜港へ運ばれ、さらに鶴見川からトロッコで境内に運搬されました。


遷祖式の様子を新聞記事より窺い知ることが出来ます。


鶴見の大盛観
本日の總持寺遷祖式 十萬の信徒慕い集まる

總持寺御祖真は四日午後十一時大本山貫首の率いる数十名の随院に奉持せられ一千余名の信徒と共に大雄山最乗寺を出て徒歩小田原を経て国府津駅に至り、臨時組織特別専用列車にて九時鶴見駅着 此間特に各駅とも五分づつ停車する由なり 。
▲宿泊所の急設
本山祖堂に至る奉迎行次は既報或いは次第書のままに各地より参拝すべき団体は通知ありしもののみにても石川県二百五十、大阪三百、愛知県一千、長野県四百五十、神奈川県千二百、横浜市三千、東京市一萬五千に達し居れば当日鶴見に集まるべき信者は意外に多かるべく宿泊等の設備なき土地とて總持寺には俄に騒ぎ出し一日以来宿泊所に宛つべき仮小屋五棟(二百五十畳敷以下百畳敷以上)の建設を急ぎ昼夜兼行四日夜中に出来せしむる筈となり居る。
▲僧侶と説教
参列僧侶は森田悟由禅師を始め各宗管長等六十五、東京府下、神奈川県下曹洞宗一般寺院六百、大本山直末寺千五百、曹洞宗教職員三百、事務担当寺院四百六十、雲水三百五十、大中学林生徒五百にて布教は東京布教団並に大中学林宣教部員一同担任し境内数箇所にて昼夜不断布教し夜間は放光堂にて説教あり。皇室と總持寺、新總持寺、本山写真帳等の施本は十余萬の達する由にて東京府寺院は信者に甘酒麦湯を寄附接待す。
▲装飾と余興
一日より取り掛りたる境内の装飾は四日中におよんで完成し鶴見町内より大本山三松閣かでは高張提灯立並び京浜電鉄会社の寄附になるイルミネーションの工事も成り白字渓門前総門に向かい右方の老松上の太陽型イルミネーションも四日工夫作業しつつあうりたり<中略>生花百数十も昨夜中に出来せり露店は三松関門形内外より鶴見町に達する両側に並列し数百を数うべし、鶴見町にては奉迎を祝し相撲、芝居、太神楽、手踊、煙火打揚等を催す由なり。
▲警備と交通
神奈川県警察部にては当日の雑閙を慮り、特に三十名の警官を派し鶴見消防夫は警備の任に当り赤十字救護班も亦出張すべく鶴見郵便局は境内に出張し記念スタンプを捺す筈なり。鉄道院も亦京浜間に臨時列車を数十回出し境内に切符販売出張所を設け割引切符を出し京浜電車は總持寺停留所を新設し五六両日運賃二割引となす。
(東京朝日新聞 明治44年11月5日・旧字体仮名遣いをkamenoにより現代の表記に改めています)


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遷祖式で配られた絵葉書より

それにしても臨時列車が運行されたり、割引運賃が設定されたり、遷祖式はとても大きな行事だったことがわかります。
様々な興味深い資料が展示されていますので、お近くにいらっしゃる際にはお立ち寄りいただきますことをお薦めいたします。

■会場となる鶴見大学会館の地図はこちら

投稿者: kameno 日時: 2010年11月 9日 14:17

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