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SOTO禅インターナショナル(SZI)2010年度総会、引続き講演会が曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)を会場として開催されました。
日程 2010年2月15日(月)
午後2時30分より 講演会(3F 桜の間)
「法網今や西ひがし」 講師 ニューヨーク大菩薩禅堂師家 嶋野栄道老師
開式に先立ち、国際布教師及び関係者示寂者法要をSZI会長導師により営みました。
ご講演いただきました嶋野栄道老師は、三島・龍沢寺専門道場にて、中川宋渕の下で参禅の後、1960年に渡米されてから現在はニューヨーク郊外の大菩薩禅堂金剛寺において禅の指導をされています。
嶋野老師をお招きするに当たっては両大本山の修行僧向けのワークショップでという話もあったのですが、特に6月前後は禅堂を離れるわけにはいかず、2月であれば、ということでお受けいただいたものです。有難い機縁です。
演題の「法網今や西ひがし」 は中川宋渕老師の俳句「やますずし 法網いまや にしひがし」から取られたものだそうです。
西ひがしに網目のように広がっている禅についてご講演いただきました。
総会の議決事項および、この日行なわれた講演会の抄録につきましては4月発行予定のSZI会報に掲載される予定です。
また、ブログ「つらつら日暮し」においてもtenjin95先生がSZI・2010年度講演会「法網今や西ひがし」の感想としてまとめられておりますので併せてご参照ください。
ここでは、kamenoメモとして、その一部を速報的に抜粋してご紹介いたします。
■干天慈雨を待つが如く
渡米するきっかけになったのは師匠から言われた「アメリカでは干天に慈雨を待つが如く、日本からの禅僧を待ち望んでいる」という言葉だった。
トゥインビー曰く今我々の思っている最大の出来事は、最大の出来事では決してない。
恐らく、過去100年において一番の出来事は何かと言うと「仏教東漸」であろう。
日本には坊さんがいっぱい居る、一人居なくても大して不自由しない。
しかし、アメリカではきっとそうではない。
どうせなら、全然知らないところに行こう!と意を決し、ハワイ大学に4年半学び、単身ニューヨークに渡ることにした。
■ハドソン川の水が澄んでもアメリカに禅堂が建つはずはない
師匠の師匠、そして師匠。
大菩薩峠で国際禅堂を夢見ていた。
しかし、いざニューヨークに到着してみると頼るものは何も無く、もちろんお寺も無い。
ただ、西本願寺派の仏教会はあった。
そこで相談したところ、ニューヨークにお寺を建てることはありえないから諦めたほうが良いと言われた。
「ハドソン川の水が澄んでもアメリカに禅堂が建つはずはない」という冷ややかな周囲の声を逆に励みにして、とにかく出来ること、坐禅、法衣で歩くことを一生懸命やった。
そのようなことを何年も何年も続けていたら、いつの間にか、ある時から急に動き出し、形となって気づいてみたら大菩薩禅堂ができていた。
そのような一つひとつの機縁を与えてくださったことはとても有難いことだと感じる。
■やってみなければわからへん、やったことしか残らへん
本山からの援助は一銭もない、もちろん檀家なども無い。
その中で何が出来るかを考えると、坐禅は出来る。
托鉢はできないけど、法衣で歩くことは出来る。
とにかく、この2つを徹底して行なった。
アパートの中、4時に起きて朝課をきちんとつとめ、徹底的に坐った。一番修行した時期だと思う。
■戴かなければならないものは、早かれ遅かれ戴かなければならないように出来ている
師匠から聞いた話。
ある禅僧が小僧のとき、とある檀家の家で読経をしていると、そこの赤ちゃんがお櫃の中にオシッコをしていることに気づいた。
読経後にそのご飯をご馳走してくださるという施主の申し出をあれこれ理由をつけて断った。
後日、再びその家で読経することになり、その際甘酒を出していただいた。
寒い日でもあり、あまりにも美味しいので3杯おかわりしたが、よくよく聞いてみると、その甘酒は先日のご飯を甘酒にしたものだった。
戴かなければならないものは、早かれ遅かれ戴かなければならないように出来ているのだ。
ニューヨークに渡った時期は、未熟な身で修行が足りない分を、助けてくださるように、ニューヨークのアパートの一室の中で、坐禅をしなければならないように仕向けてくださったのも、きっとそのようなことだったのだ。
■「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」「ありがとう」
ハワイの大学に居たとき、開かれたパーティーでのこと。
モロカイ島から原住民の一人が私たち学生たちに原住民に伝わる4つの守るべきセンテンスをプレゼントしてくれた。
それは、ごく簡単な英語で、
・I am sorry.
・Please forgive me.
・I love you.
・I am grateful.
の4つ。
その時は態々モロカイから来て、何故こんな簡単なことを教えるのだろうと思った。
しかし、後々よくよく考えてみると、それが実は仏教のエッセンスに通じるものだとわかり始めた。『臨済録』にしても『正法眼蔵』にしても、それが言わんとしていることなのだ。
そこには臨済宗も曹洞宗も仏教もキリスト教もイスラム教も無い。
今になってその教えが静かなブームとなっているそうで、それが、かつて教えていただいた4つの教えであった。
「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」「ありがとう」、これはホ・オポノポノ(Ho'oponopono)と呼ばれるものである。
■まずは日本語、日本の文化、僧侶なら祖録を学べ
日本は西洋文明にかぶれている。
小学校から英語の授業が始まった。
英語が全然必要でないということは言わないが、まずは日本語、漢字を学んだ上での英語であって欲しい。
明治維新の時代の人は東洋の確固たる知識がベースにあって西洋の文明を吸収していったのだ。
現代の教育には宗教教育、道徳教育、家庭教育が欠けている。
千何百人ものPhdを持つ人が居るある大きな会社で、原稿用紙に手書きで文書を書いてもらった。
そうしたら、400字詰の中に漢字が3つしか無かった。
自分で考えながら漢字を書くというトレーニングが出来ていないからだろう。
同様に、禅宗僧侶であれが東洋の文化、文明をまず徹底的に学ぶべき。
英語が出来る人は何万もいる。
東洋の持っている深さを身につけないと、仏教は東漸しないし、単なる一時的なブームで終わってしまうだろう。
アメリカと日本で求道心が異なるのではないか。
これから海外で禅を広めようと志す若者にアドバイスがあるとすれば、一番大事なことは、まず英語を覚えなければならないというのは大間違い。
英語を勉強する閑があったら、祖録を学び、仏典を学び、行を学び坐り倒すことに費やすべきである。
通訳するものは幾らでもいるのだから。
■とにかく礼拝すべし
見性体験にはピンからきりまである。
お釈迦様はピンの体験をされたであろうし、我々はキリのキリだろう。
見性を許された人は文殊菩薩に謝拝をするが、これは単なる自己主張に過ぎないのではないかという意見もある。
発心寺での話。ある摂心で誰も見性しなかった。老師が「お前は何をやって居るのか!」と怒った。文殊菩薩像にも「お前もだ!」
その文殊菩薩は発心寺から追い出され、三島の龍沢寺に派遣に出された。その龍沢寺でも新しい文殊菩薩を造ることとなったので、その文殊菩薩像はニューヨークの大菩薩禅堂にやってくることになった。
この文殊菩薩像に、ボストンから通っているポーランド人の参禅者が「感じるところ」があったようで是非貸して欲しいという申し出があり、貸し出すことにした。
文殊菩薩像の元、熱心に坐禅を行じているのだろう。年月を重ねるごとに文殊菩薩の形相が変わって来た。不思議なものである。
とにかく礼拝すべし。
礼拝したほうがいいというのではなく「すべし」なのだ。
■求道心の深さの違い
曹洞宗、臨済宗は同じ禅宗でありながら、なかなか交わる機会が無い。
是非曹洞宗と臨済宗の垣根があるのであれば、それを埋めるようにお願いしたい。
臨済録には「坐禅をしろ」とは何処にも書いていない。
一言で言えば「おまかせ」である。
よく禅宗は自力と言われる。
初めは自分の力で一生懸命やろうとする。だんだん雑念が少なくなる、息が整ってくる。それを続けているうちに自力だか他力だかわからないところに来る。
そこで、恐怖無しにお任せというギリギリの段階になる。
そこまで来ると、曹洞禅でもない、臨済禅でもないということになる。
ただ、それは終わりではなく、出発点に過ぎない。
アメリカの修行者の殆どは在家である。
お寺を継ぐというというものも無いし証明を求めるものも無い。
純粋に本当のことが知りたいという菩提心の深さが日本のそれとは違うようである。
そのような修行者が日本に来たときに「また青い眼のガイジンが来た」という眼で見るのは非常に侮辱的なものである。
禅など理解できない、日本文化など判らないと、初めから下に見ているのではないか。
だから日本では仏道修行できないという修行者を何人も見てきた。
日本以外に修行地を求めるようになってしまうのではないか。
いくつかのキーワードをもとにメモ的にまとめてみました。
「曹洞宗」「日本」という閉じた中に居ると気づかないことも多く、学びの多い講演でありました。
これから禅を目指す方にも広く聞いていただきたい内容であったと思います。
最後に嶋野老師を囲んで記念撮影を撮らせていただきました。