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港南図書館を会場として「お母さんが伝えるふるさと下野庭」のビデオ上映が行なわれました。
日時 10月18日(日)午後2時?4時
会場 港南図書館 2階会議室
内容 『お母さんが伝えるふるさと下野庭』ビデオ上映
作者 麻生さん、松本さん、二瓶さんの話
主催 港南歴史協議会
前半は手作りで港南区下野庭地区の歴史、文化を映像で纏められた映像を上映、それをもとにそれぞれの体験談を付加して話が進んでいきました。
後半は地元をよく知る方を中心に、質疑応答?座談会の形式で和やかに進行していきました。
予定時刻を少し超過するほど話は尽きず・・・・このような講座に参加させていただくごとに見聞が広がっていきます。
講座が終わってから、かつてこのブログで取り上げた武相国境にあったトンネルの現地へ赴き、具体的にお話をうかがいました。
⇒武相国境越えの変遷でご紹介した、あのトンネルです。
このように、大正末期?昭和初期にかけて、武相国境の現在の永作近辺にトンネルがあったのですが、このトンネルを実際に知る方はほとんど居られません。
永作にあるローソン(港南日野二丁目店)の前の歩道を数十メートル吉原側に進んだあたりにトンネルが遭ったとのことです。
丁度現在は切り通しとなっており、トンネルがなかった時代にここを通るのはかなり困難だったことが予想されます。
トンネルが会った時代は、このトンネルを「メガネ」と呼んでおり、少年時代の「遊び」として、トンネルの上に登り、半日に一台通行するかどうかという車や牛車に上から土を投げる悪戯などをしたと、楽しそうに話しておられました。
このあたりの地盤はかなり軟らかく、そのためにしばらくしてそのトンネルは崩れてしまいます。
その後切通しとなり、道路が時代とともに拡幅され、現在は環状2号線となっています。
現在、日野2丁目の一部は、住居表示は「日野」ですが、町内会は「下野庭町内会」となっています。
かつてトンネルのあったこと、武相国境がその上の稜線にあったということが、ここに名残りとなっているのです。
「なぜ?」を追い求めていくと思わぬ発見に突き当たります。
亀野さん、おはようございます。
早速、当日の報告を挙げて頂き、有難うございました。
朝生さん達が作られたビデオは22年前の「記録映像」で、当時としては、大変思い切った画期的な立派な作品と思います。
既にア?カイブになってしまいました。
当日、特別参加して頂いた大正生まれの平井さんの「記憶」を如何にして「記録化」するかは、私達に課せられた課題だと思います。今後とも、宜しくお願い致します。
投稿者 ちのしんいち | 2009年10月20日 12:14
ちの様
22年前に作成された映像はまさに貴重な記録ですね。
現在失われてしまっている光景もたくさん映し出されています。
新しい発見も多くあり、それらを整理して後世に伝えていく必要性を実感した一日でした。
投稿者 kameno | 2009年10月20日 16:33