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駐車場の一角にちょっとした土の山ができています。
山というと大げさでしょうか。高さ数センチ、幅1メートルくらいのものです。
この下はアスファルトなのですが、すっかり埋まってしまっています。
暫く観察していると、次々とアリたちが土の粒を運んでいます。
このようなことを何十日も繰り返し続けて山を築きあげたのでしょう。
彼等には、「おっくう」という概念は無いのでしょうね。
ただ、只管に土粒を運んでいます。
先月は、夏休み土曜塾で、地獄の一番深いところにある「阿鼻地獄」での刑期が「1中劫」であるとされていることを学びました。
この「劫」という時間の単位は、仏教的数学観におけるきわめて長い時間の単位です。
具体的には1辺1由旬(だいたい7km程度だと考えられる)の大岩があり、そこに100年に一度、天女が降りてきて衣の袖でその表面をなでる。そんなことを繰り返してついにその岩がすりきれ無くなるまでの時間を一劫といいます。
これは、『雑阿含経』に記述される「磐石劫」の概念とされています。
劫には、もう一つの概念があります。
「芥子劫」と呼ばれるものです。
それは・・・1辺1由旬の城に芥子粒を満たし、100年ごとにそれを1粒づつ取り出して、芥子粒が空になるまでの時間・・・・・とされています。
ちょうどアリたちが運んでいる土粒が、芥子粒くらいの大きさですので、そんなことが頭に浮んできました。
アリが一回に運ぶ量はごく僅かです。
しかし、それを只管繰り返すことにより、眼に見える成果となり、時には 蟻の巣は雨の日どうなるの? の記事でご紹介したオーストラリアのアリたちのように巨大な建造物を造りあげることもあります。
「おっくう」という言葉は、漢字で書くと「億劫」となりますね。
1辺1由旬の城に芥子粒を満たし、100年ごとにそれを1粒づつ取り出して、芥子粒が空になるまでの時間のさらに一億倍という、とてつもない時間の概念です。
もしも、最終目的の巨大構造物と、一回の土粒の運搬量を比較して考えてしまうと、それこそ「おっくう」になってしまい、はじめの一歩を歩みだすことすらできなくなるかも知れません。
けれども、アリたちはそんなことは全く考えず、ただただ土粒を運びます。
そして気がつくと、大きな蟻塚が出来上がっている。
ただそれだけのことなのですね。
何事も「おっくう」がらずに、まずは一歩足を進めてみなさい、そんなことを教えてくれているようです。
そこから何かがきっと生まれてきます。