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港南図書館を会場とした歴史講座が開催されました。
(前回は私が勤めさせていただきました)
今回第2回目開催も横浜開港150周年記念として「横浜港の七不思議」をテーマに、田中祥夫さんによる講演が行なわれました。
主催は港南歴史協議会です。
今回も応募に対して抽選となるほどの反響があり、会場は満員となりました。
講演内容は、自身の著書『横浜港の七不思議』をもとに横浜港にまつわる謎解きをしていく講演でした。
その謎とは・・・・・
(1)「象の鼻」の不思議
大桟橋の根元にある「象の鼻」。
この波除堤は、安政6(1859)年に造られた2つの突堤(東波止場・西波止場)を、慶応の大火災後に延長し、従来まっすぐだった突堤を、象の鼻のような形に変えたものです。
しかし、何故そのような形で曲げられたのでしょうか。
(2)横浜築港の不思議
横浜港は日本の重要な貿易港でありながら、開港から約35年間も外国船が横付けできず、沖合いに停泊し艀から荷物や人を積み下ろす状態が続いた。
なぜ築港がこれほどまでに遅れたのでしょうか。
(3)大桟穂の不思議
開港から25年経過し、ようやく明治27年に鉄桟橋(現在の大桟橋の前身)が出来上がる。
この工事費がどこから来たかというと、長州藩か攘夷に走った下関事件で日本が列強国に払わされた賠償金を、アメリカ政府が返還したものが大桟橋建設の原資となったのです。
一度支払われた国家賠償金が、なぜ何年も後に、しかも賠償額そのままきっちり返還されたのか。
(4)「メノリケン波止場」の不思議
「象の鼻」は、かつてイギリス波止場の通称があった。
その先端に築造された鉄桟橋(大桟橋の前身)が、なぜメリケン波止場と呼ばれるに至ったのか。
(5)石造ドックの不思議
旧横浜船渠会社(通称横浜ドック)のドック築造には、外国人技師ではなく、佐世保軍港の日本人技師・恒川氏がその設計に携わった。
なぜ、日本人を、そして恒川氏が選ばれたのか。
(6)新港埠頭の不思議
大正3年に出来た新港埠頭により、横浜港の機能は格段に向上した。
この築造工事は大蔵省により行なわれた。
通常、港の土木事業は内務省土木局が行なっていたが、なぜ内務省でなく大蔵省で行なわれたのか。
(7)「横浜市歌」の不思議
横浜市民に親しまれている「横浜市歌」は、開港50周年の年に森鴎外により作詞された。
森鴎外は、市歌としては浜松市と横浜市のみ作詞している。
なぜ、森鴎外が横浜市歌を作詞することになったのか。
横浜港にはたくさんの謎が隠されています。
田中氏は、 梅原猛氏の『隠された十字架―法隆寺論』 (新潮文庫)にある「法隆寺の七不思議」になぞらえて、「横浜港の七不思議」として、謎をとりあげ、その謎解きを展開していきました。
謎解きの種明かしはここでは行ないません。
興味ある方は是非氏の著書をご購読ください。
また、今回の講演の内容は、神奈川県内全域のケーブルテレビで放送されます。
9月1日(火)夕方6時からの「「デイリーニュース」にて1分ほどの紹介、さらに、10月26日?11月1日までの「TVフォーラム」(ケーブル局により放送時間は異なります)にて、講演内容を1時間に編集して放映される予定です。
『横浜港の七不思議』
田中祥夫:著
新書判/248頁
1,050円(税込)
ISBN:9784896602005
◆著者略歴◆
田中祥夫 (たなか よしお)
1931年東京生まれ。早稲田大学第一理工学部建築学科卒。 横浜市役所に勤務し、街づくりや住宅計画に携わる。 1991年「明治前期における建築法制に関する研究」で日本都市計画学会賞(論文)受賞。
東海大学大学院、関東学院大学で非常勤講師をつとめ、 現在、国土交通省中央建設工事紛争審査会委員。 工学博士。 著書に、『ヨコハマ公園物語』(中公新書)、『神奈川県建築史図説』(共著/神奈川県建築士会)など。
亀野さん、こんばんは
早速、報告を揚げて下さり、有難うございました。
大勢の方がご参加くださり、良かったですね。本には書いてない、新しい事が伺えて良かったと思いました。
投稿者 ちのしんいち | 2009年8月30日 01:03
ちの様
いろいろとお疲れ様でした。
本当に多くの方の参加があり、歴史講演会活動への反響の大きさを感じます。
直接生の声を伺うと、活字では見えない多くのことも見えてきます。とても有意義な時間でした。
投稿者 kameno | 2009年8月30日 20:31