モンゴルに根付くチベット仏教とアミニズム

モンゴルにおいて遊牧民の住居・ゲルを訪問すると、北面に設置された仏壇に祀られたダライ・ラマ14世法王の写真を見ることが出来ます。

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街のいたるところでもダライ・ラマ法王の写真を見かけます。
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写真(左)はスーパーマーケット横に掲げられた看板
写真(右)はBuddhist Meditation centerの瞑想堂内

ダライ・ラマ法王とモンゴルの関係は深く、というより、ダライ・ラマという称号自体 1578年に当時モンゴルを支配していたアフタイ・ハーンがチベット仏教ゲルク派の高僧・ソナム・ギャツォを招聘し、贈った称号です。
「ダライ」はモンゴル語の「海」であり、チベット語では「ギャツォ」となります。
ダライ・ラマ14世法王の法名は「テンジン・ギャツォ」でありますね。
「ラマ」はチベット語の「指導者」を意味しています。

清朝の時代には、チベット仏教があまりにも盛んになりすぎて、人口の半数近くが出家してしまい、労働人口が激減したという問題を引き起こしたほどだったそうです。


しかし、1917年のロシア革命勃発以降、モンゴル人民政府を樹立徹底した親ソ・社会主義路線をとるようになると1929-32年に行われた厳しい宗教弾圧が徹底的に行われます。
モンゴル語のキリル文字使用が決定されたのもこの頃です。
識字率を高めるという大義名分でしたが、その本当の目的はモンゴル文字で書かれた古典書籍を読むことが出来ないようにするということのようでした。

1990年にはようやく一党独裁が放棄され、1992年には新憲法が制定され、社会主義は放棄されました。
人民革命時には、唯一ウランバートル市内のガンダン寺のみ宗教活動が許されており、社会主義放棄後はガンダン寺が中心となって国内寺院の復興が行われています。

宗教の自由が保障されたことにより無宗教層や他の宗教も増えているようですが、やはり主力はチベット仏教のようです。
先日、貞昌院にモンゴル人の馬頭琴奏者一家がいらっしゃった際にも、本堂で丁寧な五体投地の礼拝を繰り返しされておりました。


現在、ガンダン寺には宗教大学のほか、小学校も併設されています。
モンゴルでは、中世には仏教寺院に子どもを預けチベット語を習得させることが行われていましたが、その姿が徐々に戻っているのです。
現在では僧侶を目指す多くの若者が僧院に住み込みながら学問研究する姿が見受けられました。

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訪問した午前中の時間に寺院で営まれていた法要は、日本で言えば施食法要の、それも名古屋で行われているような一施主一法要(供養内容は御祈祷に近い)のような形を取っているように見えました。

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法螺貝のような音に導かれ僧侶たちが集まり(写真左)、堂内に上殿(写真右)し、法要が始まる


唱えられている読経はダライ・ラマがチベットの守り神であることもあり、観音真言「オン・マニ・バドメー・フーン」が繰り返し唱えられ、斎時には施主の前で食事を摂るという摂心供養の施主のような感じでありました。
日本の禅寺と徹底的に違うのは、法式作法がかなり柔軟的であるということ。おおらかな面も多く見られます。


寺院境内のマニ車や柱、街中や道路筋にあるオボー(道祖神のようなもの)では熱心に祈る信者の方々の姿(特に若者が目立ちます)を目の当たりにしました。

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オボー(下写真)は集落の境界、峠、寺院の脇、丘の上などでよく見かけました。

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巻かれている青い布は一番崇高な神様、「天の神様」を表すそうです。
施主が柳の枝を立て、僧侶が供養の法要を行った後、青い布(ハダク)が巻かれていきます。
脇には石が積まれ、旅人たちはここで旅の安全を祈り、石を積み、馬のたてがみや、供物を置き、右回りに三周して感謝の意をささげます。先日のブログ記事で、石の上にギプスが置かれていたものは、旅程を無事終えることができたことに対する感謝の意であるそうです。

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このように、モンゴルではチベット仏教以前に大自然、特に天と地を大切に扱うアミニズム的な信仰も根深いといえます。
酒宴の席では、乾杯の前に指先を杯につけ、天に弾いてから口にしますし、遊牧民たちは乳絞りの際に一番目の乳を天と地に捧げます。
大地や川をを絶対に汚してはいけないという教えも受け継がれているそうです。


さて、中国では、中国政府によりチベット自治区をはじめ、チベット仏教に対する弾圧が強められています。
昨年8月、ダライ・ラマ法王がモンゴルへ訪問された際、何千人もの民衆が法王を歓迎しました。訪問先のウランバートル・ガンデン寺では、観音堂の外で、法王は歓喜溢れる民衆や僧侶たちと対面し、スタジアムでは満員の信者の前で講演を行ったそうです。
それに対し、中国政府はモンゴル政府による法王受入れを非難し、モンゴルへのチャイナエアラインの突然のフライトキャンセルなど空の便を妨害したのです。


モンゴルでは一時期宗教が弾圧されていた時期があったとはいえ、仏教徒の中では徐々にそれが復興されチベット仏教がモンゴル仏教として生活の中で自然に取り入れられている一面を見ることができました。
郊外にある墓地や火葬場の様子も見ることが出来ました。
中国の仏教とはまた別の方向性で進んでいるのですね。
 

・・・・・・・・これでモンゴル旅行記は一段落とします。
近くて遠い国というタイトルで始まブログ記事でしたが、今日の記事を書き終えて、近くて身近な国となりました。
末筆となりましたが、旅行中においてGNCモンゴルをはじめ、多くの方々にお世話になりましたことに感謝申し上げます。

なお、モンゴルにおける宗教事情についてはtenjin95さんがSZI会報42号(12月発行予定)で執筆予定でありますし、ブログ(つらつら日暮し)でも詳細にまとめられていますので、併せてご参照ください。


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中国で広がる宗教心 ‐追記

投稿者: kameno 日時: 2009年6月25日 16:25

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