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民生児童委員研修のために湯河原に来ています。
一日目は定例会と意見交換会。
具体的には記載できませんが、お年寄りのかたからこどもたちに関する問題について深夜まで話し合いが持たれました。
皆さんのパワーには圧倒されます。
宿泊地は湯河原の街を一望するこぢんまりした旅館です。
・・・そんな感じで夜は明け
↓
前日の嵐のような天気が嘘のように好転しました。
早朝、朝食まで時間があったため皆で散歩をかねて街を一周。
山を下り千歳川を渡ると、そこはもう熱海市です。
曹洞宗福泉寺様へ参拝。
境内には肩から上だけの陶製のお釈迦さまの像が安置されています。
茅葺の屋根がおちついた良い雰囲気を醸し出しています。
この像は300年以上もの前、名古屋藩主徳川光友公の代です。
光友公の父義道公がある日の狩の帰り道、馬上より遥かに見て、一町人の娘が健気にも耳の遠い老母が行列の来るのを知らずに家の前で行水しているのを、タライ共奥へ運び去ったのをご覧になり、孝心とその行為に感激され、後に御殿奉公を命じました。
娘は後、若君を懐妊し「匹夫下郎の卑しい身分で股から御産み申すは万世の恥である、腹から御産み申さん」と云い、ついには断腹して光友公を御産みになられました。
母胎は若君誕生後絶命しました。
光友公は若くして孝順厚く自身誕生を知り母上の菩提を弔う供養としてお釈迦様の像の建立を願いました。
製造にあたり陳ケンビンという人に命じ、尾張瀬戸赤津村大仙山の土をもって謹造したものです。
当寺には頭部のみ安置しました。
時代の変遷により胴部は何処に埋没したとかいわれています。
(由緒書より)
なるほど、そのような伝承があったのですね。
それにしても、凄まじいばかりの眼光です。
その後、川を上流に進みます。
途中に祀られていた道祖神をお参りしつつ、曹洞宗保善院様へ 。
境内には湯河原で晩年を過ごした竹内栖鳳の筆が祀られています。
その隣には三味線塚も。
太平洋を望むことが出来る眺めの良い場所です。
このあたりはみかんの産地。
モノレールがあったり、レモンが鈴なりになっていたり
・・・ リスがエビフライを造る途中のもの も落ちていました。