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以前、ブログ記事において 鎌倉古道下之道をGoogleMapで表示いたしました。
今回は、別の角度からの視点で古道のルートを検証してみます。
現在の鎌倉街道は大岡川沿いの谷戸を通るルートですが、鎌倉時代の鎌倉古道下之道は、主に尾根筋を通るルートとなっています。
その理由は
下野庭の天谷橋または天谷大橋の命名の由来は、昔(年代不明)、武蔵国と相模国の争いがあった。互いに対峙したのが、ここ天谷大橋付近だった。その時、馬洗川の渓谷は霧が立ちこみ底なしの千尋の谷と化していた。両国は攻め倦んで和睦を申し入れ、争いは終わった
『港南の歴史と文化』(伊藤武著・港南歴史協議会)
にあるように、度々起こっていた武相国境付近の争いに備え、見通しがよく敵を見つけやすい場所であることのほかに
山の上の道を通ると見通しが良いので敵や獣に対して有利である。乾いていて歩きやすい。一方川沿いの道は湿地が多いので歩きにくい。どうしても大小の川を渡る必要があり、渡る橋がもしあっても木橋の寿命は7年ほどである。しかも度々壊れる。履物が「わらじ」や藁でできた靴では始末が悪い。熊・猪・オオカミ・まむし・ヒル・蜂・毒虫などと出会いやすい
『忘れられた街道』(中根洋治・風媒社)
など、様々な理由が挙げられます。
車両の通行にとっては尾根筋のルートは不利ですが、徒歩ルートでは、逆に尾根筋の方が有利であるのです。
「カシミール3D」で港南区内の「鎌倉古道下之道」のルートを作成してみました。
縦断断面図はこのようになります。
やはり結構勾配のきつい場所はありますね。
最後に、別所餅井坂から舞岡公園までのルートをムービーとして作成してみました。
(ネット上ですので画質を落としています)
高低差を5倍強調していますので尾根筋を通るルートを体感できると思います。
クリックしてご確認ください。
亀野さん、素晴らしいですね。
カシミ?ル3Dを使った「ル?トム?ビ?」は本当に鎌倉時代の「かまくら下の道」の状態を再現していました。車社会でなかったので、これだけの高低差を移動できたのでしょうね。これからも期待をしております。当に「デジタルア?カイブ」の世界と思います。
投稿者 ちのしんいち | 2009年2月19日 09:32
亀野さん
感動しました。
このルートを地域の子ども達と歩いて、その取材レポートを紹介してみたいものですね。。。
投稿者 港南台タウンカフェのさいとうでした。 | 2009年2月19日 10:31
ちの様
昨日はお疲れ様でした。
様々な広がりがありそうですね、これからが楽しみです。
ネット上では荒い画像ですが、かなり精細に再現することも出来ます。
さいとう様
いつもお世話になっております。
山歩きの事前シミュレーションもできたりしますので、様々な応用が可能です。
古道も然りですが、武相国境線は分水嶺の稜線ですから更にその様子が見えます。視覚的に分かりやすい資料を作っていきたいと思います。
投稿者 kameno | 2009年2月20日 08:46