障壁を少しづつ取り払っています

バリアフリー

バリアフリー(Barrier free)とは、広義の対象者としては障害者を含む高齢者等の社会生活弱者、狭義の対象者としては障害者が社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害(障碍)や精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障害を取り除いた状態をいう。一般的には障害者が利用する上での障壁が取り除かれた状態として広く使われている。(Wikiペディア)


寺社はバリアフリーの観点で見ると、必ずしも参拝客に優しくない場合が多いですね。
例えば車の入れない急峻な坂道であったり、何百段もの石段を登った先にあったり、究極は投入堂のように参拝に命がけのところすらあります。

また、鳥居や山門、玄関の敷居などの結界があり、俗の世界との明確な区別をしています。
その境界を越えるたびに意識を新たにし、作法を整え、寺社の領域に入るというわけです。

しかしながら、近年は特に高齢化の参拝者も増加したこともあり、そのようなことばかりも言っていられなくなりました。
安全に、たやすくお参りしていただくことができるよう、バリアフリー化を求められる時代になっています。


それでいて、結界に区切られた空間を損ねないような配慮が必要なわけで、そのあたりが工夫のしどころとなっています。

20080421-3.jpg


貞昌院の場合は、山門前にはこのような石段があり、山門の敷居、そしてまた数段の石段という参道です。

その脇に、山門を潜らないで本堂に至ることができる坂道があるのですが、これまではその坂道にこのような段差がありました。

20080421-1.jpg


坂道にアクセントをつけるというデザイン的な要素が大きかったのですが、この度、この段差を取り払って段差のないスロープとする工事が始まりました。


20080421-2.jpg


概ねあと一週間ほどで完成予定となります。

昨年は玄関前の階段に手摺を設置しました。
序々にではありますが、お参りしやすい環境を整えていく予定です。




補記

日本人の結界に関する考えには独特のものがあります。
結界を結ぶ装置が「縁」。
窓の外側にある縁側のような空間です。

日本人のもつ思想の特長的なものを一つ挙げるとすると、個々を明確に区分せず、このような縁側の要素を持つということがあります。
この縁側の要素により、自と他の境界を曖昧にして他人と接してきました。
それゆえ、明確な自と他の境界での衝突をすることなく、ノンバーバルな表現や、人の心を察する感受性、お互いを尊重し譲り合う精神が育くまれてきました。

縁のような曖昧な境界を持つことができるというためには、それだけ柔軟な精神を有する必要があります。
日本人の育んできた懐の深さ、思いやりのこころを大切にしたいものです。

投稿者: kameno 日時: 2008年4月21日 13:55

コメントを送る