今年9月、ビルマ(ミャンマー)において燃料費の高騰をきっかけとした平和的な抗議行動に対し、軍事政権が発砲、抗議行動に参加した僧侶や市民、そして日本人ジャーナリストを含め多数の死傷者が出ました。
3ヶ月が経過した今でも軍事政権によるビルマ(ミャンマー)国民と僧侶たちへの抑圧と弾圧は続いております。
事態はあたかも沈静化したかに見えますが、これは軍事政権による情報統制と、反発する僧侶や市民を排除したことによるものです。
そのような状況の中、ビルマ(ミャンマー)の僧侶が、2007年12月7日?18日の日程で来日されています。
来日されているのは、シンガポール在住のパンニャバンサ長老、カリフォルニア在住のスジャナバンサ師、ビルマ(ミャンマー)民主化運動に係わるチョウティン氏ほかの一行です。
パンニャバンサ長老は、ササナモリ(仏教最高長老評議会)国際ビルマ仏教僧協会団長 (: International Burmese Buddhist Sangha Organization)のパンニャバンサ長老は、各国にビルマ仏教を伝え、多くのビルマ寺院を建立しており、ビルマ(ミャンマー)人にとって著名な高僧です。
一行の来日は、ビルマ(ミャンマー)国内においては、僧侶たちが厳しく管理されており、国外への移動が厳禁されていることから、ビルマ(ミャンマー)国外で活動しているパンニャバンサ長老に支援を要請、長老がその重責を担ってのことであります。
パンニャバンサ長老は、80歳の高齢にもかかわらず、ビルマ(ミャンマー)における状況を伝えるため、ミャンマー僧侶の思いを一身に受けて精力的に活動されているのです。
昨日、忙しいスケジュールの合間を調整いただき、移動中の東京駅にてSOTO禅インターナショナルとの座談会をさせていただくことができました。
座談会は、一堂に会した9名 (パンニャバンサ長老側4名、SZI側5名) の紹介、犠牲となられた方々に対する黙祷を行った後に引き続き行われました。
冒頭に、パンニャバンサ長老に、一行の来日の目的とビルマ(ミャンマー)の現状をお話いただきました。
プレスリリース資料を基にまとめると次の5項目に集約されます。
(1)平和的な抗議行動に参加し、2007年9月の弾圧によって痛ましいことに命を落とし、あるいは負傷したビルマ国内の僧侶、尼僧、在家信者に対する弾圧、ならびに仏教サンガと国民に対して現在も行われている抑圧について、私たちはこれを強く非難し、深い追悼の意を表わす。
(2)ビルマ国内からの信頼できる報告によれば、軍事政権は僧侶の移動を非常に厳しく制限しており、民間による救援活動のほか、仏教僧が運営する無償の学校や子どもへの教育などの地域社会活動を禁止している。私たちは、自国民の福祉の増進に寄与しない、こうした措置、ならびに破壊的で抑圧的な方策を強く非難する。
(3)私たちは軍政指導部に対し、敵対的で抑圧的な行為を即時全面停止すること、また、長期的にとらえたビルマ国民の最良の利益と国民の福祉に寄与するために、包括的な対話を通した真の政治改革に着手することを訴える。
(4)ビルマ国民の苦しみが、歴代の抑圧的な軍事政権と、度重なる抑圧と失政によってこれほど長期にわたっていることは自明であり、否定できない真実である。世界のどこを探しても、抑圧の下で、あるいは抑圧的な支配の下で期待通りの繁栄と発展を実現した国家も、実現する可能性を持った国家も存在しない。相互に愛と慈しみを抱き、共に発展を望むという前向きな歩みを始めることにこそ、軍事政権と国民の最良の利益がある。
(5)私たちにはビルマの政治問題に介入する意図は一切ない。しかし慈しみと善意から発する行為として、私たちはビルマの兄弟姉妹の苦しみに対して誠意を込めた立場を示すとともに、利益(りやく)のある見解を表明するものである。
このうち5番目の項目、「ビルマの政治問題に介入する意図は一切ない」ということが重要なポイントとなります。
また、僧侶たちの行為は、報道では「デモ」とされていますが、その多くは仏典に基づく覆鉢の行為であり、僧侶たちが市民たちの困窮を目の当たりにし、真摯に国民生活の安寧を願っての平和的な抗議行動です。
その平和的な抗議行動に対する暴力的な弾圧は決して許されることではありません。
ミャンマー政府は、平和的な抗議行動の後、パゴタを封鎖し、所属する僧侶たちをそこから強制的に引き離し、迫害が続けられています。
例えば1000人の僧侶が所属している寺院では、その数が10分の1以下になり、僧侶が居なくなった寺院すらもあります。
寺院の主要な活動である学校や教育活動などが禁止され、寺院の伽藍や仏像の破壊、そして僧侶への暴行が行われ、政治囚として投獄するなどの弾圧が引続き行われています。
投獄された僧侶たちは強制的に還俗させられたり、ひどい時には死に至らしめることもあるようです。
座談会の中で、パンニャバンサ長老は、自分たちは「政治僧」ではないということと、ビルマ(ミャンマー)の政治問題に介入する意図は一切ないということを強調していました。
しかし、実際問題として民主化が進むためには軍事政権が崩壊するか、少なくとも歩み寄りをみせなければならないというジレンマがあります。
その点に関しては、民主化の進行が必要ではあるが、それは長期的な視点の話であり、まず、今出来ること、お願いしたいことはビルマ(ミャンマー)以外の国から平和的な解決に向けた協力をお願いしたいということでありました。
ビルマ(ミャンマー)への平和の祈りのメッセージは、SOTO禅インターナショナルでも会報36号(本年12月末発行予定)において記事として掲載しているところです。
ちょうど編集作業が終了し、印刷が出来上がったばかりの会報をパンニャバンサ長老にお読みいただきました。
記事を執筆されましたM師も同席されましたので、直接、執筆者本人から記事の内容をお伝えいただけたことは何よりのことであります。
⇒この会報36号は、SOTO禅インターナショナル会員の方に年末にお届けする予定です。
また、SOTO禅インターナショナルを含めた実行委員会で運営している「ゆめ観音アジアフェスティバル」についても座談会の中で出され、アジアをつなぐ平和の祭典に対する理解をいただきました。
来年の ゆめ観音 への平和のメッセージ、そして、ビルマ(ミャンマー)僧侶たちの参加という具体的な協力もいただけることとなりそうです。
さて、今回来日されたパンニャバンサ長老一行の目的は、現在も続いている軍事政権による弾圧の現状を風化させることなく伝えていくこと、そして、諸国政府、仏教関係者、市民の協力・支援を要請することです。
日本での活動拠点をつくることも、その一つとのことです。
対し、私たちにとって、どのような支援ができるのか。モラルサポートとして何ができるのか。平和的解決へ向けてどのような活動がなされるべきか。
そのあたりをこれからも考えていく必要があるでしょう。
まずはビルマ(ミャンマー)の現状を正確に捉え、それを伝えていくということがその足がかりになると思われます。
なお、今回の座談会の詳細は、来年4月発行予定のSOTO禅インターナショナルの会報37号に掲載予定です。
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補注
記事中に、国名に関する ビルマ と ミャンマー の統一がされていませんが、パンニャバンサ長老一行側はビルマという表現を使っていますので、今回の記事中は敢えてこのような記述といたしました。
ビルマとミャンマーは語源を同じとし、意味の違いはありませんが、軍事政権がミャンマー表記を正式な国名と定めたために、政治的意図も多少含まれてしまっています。
このあたりは、産経新聞の 【明解要解】「ミャンマー」か「ビルマ」か をご参照下さい。
記事の中に「また、僧侶たちの行為は、報道では「デモ」とされていますが、実際は仏典に基づく覆鉢の行為であり、僧侶たちが市民たちの困窮を目の当たりにし、真摯に国民生活の安寧を願っての平和的な抗議行動です」とあります。
私は9月下旬にヤンゴンに滞在しておりました。僧侶たちの行動は、明らかに「デモ」でした。新聞報道などで、「慈経」を唱えながら行進しただけと伝えられていますが、僧侶たちは、読経とともに、政治的なシュプレヒコールもあげていました。
*なお、僧侶たちは、パーリ小部『クッダカパータ』及び
『スッタニパータ』に収録されている「慈経」(メッタース
ッタ)を唱えていたのではなくて、ミングォンセアロー
(Vicittasarabhivamsa長老)がつくったミャンマー語の
慈念の偈文を唱えていました。
僧侶たちの行動は、その大部分が「平和的なもの」であったことは確かです。しかしながら、政治行動(反軍政行動)的要素がゼロであったのではありません。また、青年僧侶たちを動かしたリーダー僧の中には、1988年の民主化要求運動に何らかのかたちで関与していた活動家あるいは元活動家が多く含まれております(今回の事件の後、ごく少数ではありますが、僧院に武器を集めて検挙された僧侶もおりました)。このあたりをよく踏まえず、僧侶たちの行動を美談化してしまうのには、些か疑問を感じます。
このあたりは、どのようにお考えになられるでしょうか?。
投稿者 metta | 2007年12月17日 13:23
metta さん
コメントありがとうございます。
情報統制が厳しく管理されている中での貴重な情報をありがとうございました。
現地でどのように事態が進んでいるのかを、まずは正確に捉えることが大切だと考えております。
推測で物事を語ることは、情報の独り歩きとなり危険です。
また、一つのソースだけによって情報判断をすることも然りでしょう。
mettaさんのご指摘のとおり、一部の僧侶の中でそのようなことがあったとすれば、それを前提とした判断を行う必要があります。
大多数の僧侶が平和的な抗議行動をとり、一部の活動家あるいは元活動家の僧侶が政治行動をとったというのが、実際に近い状況なのでしょうか。
投稿者 kameno | 2007年12月17日 14:30
私の書き込みに早速コメントしてくださり、ありがとうございます。
一部の僧侶には治安部隊への投石などがみられましたが、大半は、時折シュプレヒコールをあげながら読経しつつ行進するという、平和的な行動をとっておりました。しかし、その「読経行進」の意味が、すでに過分に政治的メッセージの込められたものでした。
なお、ミャンマー中部の都市を中心として僧侶たちの動きが活発であった時期(2007年デモの中期)の、9月9日のことですが、ミャンマーの各地にある「僧侶連盟」(Monks Union)と「全ビルマ僧侶連盟連合会」(Federation of All Burma Monks Union)、「全ビルマ青年僧連盟」(All Burma Young Monks Union)、ヤンゴンの「青年僧侶連合」(Young Monks Union)など、青年僧侶の各団体(1990年の「僧団組織関連法」によれば、これらはすべて非合法団体)が、「全ビルマ僧侶連盟」(All Burma Monks Alliance)という統括団体を結成し、軍政に対して声明を発しました。
声明では、(1)パコックー事件(軍政による僧侶への暴行事件)への謝罪、(2)生活用品・燃料・米・食用油の値下げ、(3)アウンサンスーチー氏を含むすべての政治犯及びデモでの拘束者の解放、(4)軍政と民主化勢力との対話開始を、9月17日までに実現するよう、軍政に要求しております。そして、これらの要求が実現されなければ、9月18日より、軍政幹部と家族に対する寄進拒否(覆鉢)を開始すると通告しております。
「全ビルマ僧侶連盟」とその傘下団体は、今回の僧侶のデモを主導した組織です。この組織の指導者層に、年の民主化要求運動に何らかのかたちで関与していた活動家あるいは元活動家が多く含まれております。
上に示した声明を見て分かるように、青年僧侶たち(少なくともその指導者たち)の主張は、政治的な色彩を色濃く帯びたものだと言えます。
なお、この声明における要求は、要求期限の9月18日を過ぎても、軍政により実行されませんでした。もちろん僧侶たちは軍政の姿勢に反発を強めました。ヤンゴンやマンダレーにおいて僧侶たちの活動が一挙に拡大してゆくのは、この9月18日からのことでした。
投稿者 metta | 2007年12月17日 15:20
mettaさん
貴重なコメントだと思いました。
やはり、実際に眼で見て肌で感じて来られた方の話というのは何ものにも代えがたい説得力があります。
ブログ記事中、「また、僧侶たちの行為は、報道では「デモ」とされていますが、」の後に、「その多くは」の5文字を挿入いたします。
なお、全体としての文意は何ら変わるものではありません。
仏典に従って行動し、平和的な行動をとったビルマ(ミャンマー)の多くの僧侶たちが、再び仏教修行を行うことができるよう、心から願うばかりです。
投稿者 kameno | 2007年12月18日 12:36
重ねてコメントをいただき、心から感謝申しあげます。
スリランカ及び東南アジア諸国における上座部仏教(または上座仏教)の僧侶の社会的活動は、純粋に三蔵聖典の教説に依拠したものであれ、そこから外れたものであれ、何らかの政治的メッセージ性を帯びるものとなります。
今回僧侶たちがおこなった、律蔵に規定される手続きに基づく「覆鉢(パッタニクッジャナ)」は、「如法」(精確には「如律」)なものであり、平和的な抗議行動であうことに相違ないのですが、どのような動機で、何のために「覆鉢」をおこなうのかという議論になれば、そこに政治的な動機と目的が指摘できます。日本国内で発信されている2007年デモに関する情報等の問題点は、このあたりにあまり触れないところにあると考えます。
そのようなことが気になっておりましたものですから、失礼とは思いましたが、先日来の書き込みをさせていただきました。
なお、日本では「パンニャバンサ長老」という呼び名が定着(?)しておりますが、パーリ語の僧名の精確な発音は「パンニャーワンサ」であり、パーリ語のミャンマー語発音では「ピンニャーウンタ」です。細かなことではありますが、ここに付言させていただきます。
ありがとうございました。
投稿者 metta | 2007年12月19日 12:42