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ミャンマー反政府デモ僧侶ら、スー・チーさんと対面ミャンマーの最大都市ヤンゴンで22日、反政府デモを展開する僧侶約1000人が、軍事政権下で軟禁状態にある民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(62)と対面した。
軍政がスー・チーさんとの接触を黙認した格好で、極めて異例。今後、国民に影響力のある僧侶と、スー・チーさんが書記長を務める国民民主連盟(NLD)など民主化勢力が手を結ぶ可能性が出てきたことにより、情勢は一層緊迫化してきた。
消息筋によると、同日午後、スー・チーさん宅に近づいた僧侶らに対し、治安部隊が道路封鎖を解除。僧侶らは自宅前に約10分間とどまり、祈りをささげた。治安部隊が静観する中、女性2人と外に出てきたスー・チーさんは涙を流し、僧侶らに敬意を示した。僧侶らは、スー・チーさんに「すぐに解放されます」「体に気をつけて」などと声をかけた。
(読売新聞)
そういえば、ミャンマーの首都って何処だったでしょうか・・・・・ネーピードーっていう地名はなかなか出てこないですね。
昨年の秋にいきなりヤンゴンから移りましたから・・・
ミャンマーでは、1962年から現在に至るまで軍事独裁体制が続いています。
軍事政権発足後、軍事政権と、アウン・サン・スー・チー女史率いる野党国民民主連盟(NLD)が対立。1990年には総選挙が実施され、NLDが圧勝しましたが、政府は選挙結果を認めず軍事政権が続いているのです。
政府は民主化勢力の弾圧をさらに強化し、それによりアウン・サン・スー・チー女史は1989年から1995年までと、2000年から2002年までの間、政治犯として自宅で軟禁されました。
その後、一時解放されたものの、2003年5月には再び地方遊説中に軍事政権による拘束を受け、自宅軟禁の状態が続いています。
ミャンマーにおけるアウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁措置の継続について
わが国は、ミャンマー政府が、アウン・サン・スー・チー女史に対する自宅軟禁措置を1年間の延長期限を迎えた5月27日(日曜日)以降も継続している現状を深く憂慮する。
わが国は、ミャンマー政府が、国際社会との対話を活発化させるとともに、アウン・サン・スー・チー女史を含む政治犯を速やかに解放し、同女史を含む全ての関係者を含めた形で民主化プロセスを早期に進展させることを強く期待する。平成19年5月28日 外務報道官談話
軍事政権下にあるとはいえ、ミャンマーの治安は決して悪くはなく、むしろ日本より安全とさえ言われています。
これは何故かといえば、国民のほとんどが敬虔な仏教徒であるということと、警察の権力が強大であるということが要因のようです。
しかしながら、日常の会話において政治に関することは避けなければなりませんし、インターネットの検閲も行われています。
そのような中、冒頭のニュースが入ってきました。
軍事政権から軟禁を受けているスー・チーさん宅の前で祈りをささげたというだけの行動ですが、ミャンマーの民主化に向けて、僧侶たちが平和的行動として果たした役割はとても大きなものであるといえます。
これをきっかけに軍事政権情勢が大きく転換するかもしれません。
今後の僧侶たちの動きにも注目していきたいと思います。
ミャンマーに限らず、世界には不条理な抑圧により自由や信仰や土地、財産を奪われるということがたくさんあります。
アジアの中ではチベット、東ティモール、ミャンマーがその最たる事例であるわけですが、抑圧された自由を取り戻すために、闘い続ける人々もいます。
この闘いの実践活動により、それぞれダライ・ラマ 法王、ジョゼ・ラモス・ホルタ氏、アウン・サン・スーチー女史に対しノーベル平和賞が贈られています。
アウン・サン・スー・チー女史は、京都精華大学創立30周年記念事業の講演での女史の自由へのメッセージとして次のように述べています。
―あなたにとって自由とは何か。
「自由とは、潜在力を発展させるための機会だと思う。他人の自由を考慮した上で、であるが。自分自身の自由だけを考える事はできない。自分の自由が他人の自由を脅かすようなら、それは自由とは言えない。それは不正義だ。だから自由と公平は均衡がとれていなければならない」
(自由へのメッセージ・京都精華大学創立30周年記念事業講演より)
ミャンマーにおいて真の自由が取り戻される日が来ることを願い、アウン・サン・スー・チー女史が一日も早く解放されますことを心より願います。