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以前、日本各地を空中散歩 という記事で、国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)についてご紹介いたしました。
今回の記事は、今年公開されたばかりの、国土地理院による国土変遷アーカイブのご紹介です。
これも凄いですよ。
感涙ものです。
国土変遷アーカイブがどのようなものかというと
国土地理院では、全国土を対象に戦後から繰り返し撮影された、空中写真を保有しています。これらの空中写真からは、その時々の地形、土地利用、都市化の状況などを知ることができ、戦後から現在までの国土の変遷がわかります。国土地理院では、国土変遷アーカイブ事業として空中写真のデジタル化を進めており、デジタル化の完了したものから順次、公開していきます。
現在公開しているのは以下の空中写真です。
1946年1月?1957年12月撮影:約134,000枚
1992年1月?2001年12月撮影:約36,000枚
2003年1月?2005年12月撮影:約15,000枚
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
このように、戦後まもなく米軍により撮影された空中写真および、その後国土地理院により撮影された空中写真を時系列に纏めた膨大なアーカイブなのです。
さっそく見てみましょう。
国土変遷アーカイブのサイトの
から、地名に「上永谷」と入れてみます。
(みなさまは、お近くの駅名とか地名を入れてみてください)
都道府県名を選択し、撮影日(範囲指定) は特に選択しなくてもOKです。
検索をクリック。
すると、上永谷近辺で撮影・公開されている空中写真が一覧で出てきます。
この中から、神奈川県横浜市港南区 昭和22年(1947)撮影の空中写真を表示してみましょう。
解像度は100dpiと200dpiがありますので、解像度の高い200dpiで見てみます。
画面写真に見える真ん中あたりが貞昌院(横浜市港南区上永谷)付近です。
戦中戦後の貞昌院の裏山は、食料確保のために畑として開墾されていたこと、その後、植林政策により杉が植えられたことなどが、空中写真の上からも見て取れます。
左上に写真のサムネイル(見出し)がありますが、その周囲にあるE・S・W・Nをクリックすると、それぞれ東南西北の写真に移動します。
詳細情報 写真名 USA-R498-22
作業名 USA コース番号 R498
写真番号 22 撮影年月日 1947/11/5
撮影地域 横浜 撮影計画機関 米軍 撮影実施機関 米軍
撮影高度 1829 m 撮影縮尺 1: 11930 焦点距離 153.3
地図番号 NI-54-25-8 カメラ名称 K-17
地理院缶番号 基準面高度 形式 モノクロ
市区町村名 神奈川県横浜市港南区
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国土変遷アーカイブにおいて、上永谷近辺で公開されている空中写真を年度別に並べてみると次のようになります。
神奈川県横浜市港南区 昭和22年(1947)撮影
神奈川県横浜市港南区 昭和23年(1948)撮影
神奈川県横浜市港南区 昭和24年(1949)撮影
神奈川県横浜市港南区 昭和31年(1956)撮影
神奈川県横浜市港南区 平成 9年(1997)撮影
神奈川県横浜市港南区 平成12年(2000)撮影
神奈川県横浜市港南区 平成16年(2004)撮影
ということで、戦後からの地域の変遷がこのアーカイブで一目瞭然となります。
日本国内のあちらこちらを見て回ると、それこそ、いろいろな発見があります。
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冒頭のに記載した、国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)は、撮影年度が比較的近年のものに限られていました。
たとえば上永谷近辺ですと
昭和53年
昭和58年
昭和63年
です。
その代わり、解像度は400dpiと、かなり高解像度かつ、カラーでの公開となっています。
グーグルアースも良いけれど、地域を時系列でさかのぼって見ることができるシステムも、非常に価値のあるものだと思います。
国土地理院による国土変遷アーカイブと、国土交通省の国土画像情報を併せて活用することにより、さまざまな利用方法が考えられますね。
代々横浜南区に住み、1945年横浜大空襲を体験した71才になった男子です。是非終戦直後の横浜の写真を見て見たく、投稿させて戴きました。
投稿者 平石順久 | 2009年6月14日 11:39
平石さま
終戦間際の大空襲はさぞかし大変なことであっただろうと拝察申し上げます。
空襲によって街並みは一変してしまったということが航空写真からも見て取れます。
国土変遷の記録はとても貴重ですね。
投稿者 kameno | 2009年6月15日 01:59