言語表現はいかにして多値論理体系で説明できるか3

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これって何色?


一つの例として、色相のうち、黄:Yを例にとって考えてます。
(どの色名を例にとってもよいけれど・・・)

マンセルの色環によると、10の大分類のうち、Yに属するものは、スペクトル波長571?579オングストロームとなっています。
また、オストワルドによれば、6の大分類および8の中分類においてYに属するものは569?584オングストロームです。
同様に、日本色彩研究所による分類では562?583オングストロームです。

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580オングストロームの光は、オストワルドの分類ではYに属すけれども、マンセルによる分類ではYR10に分類されます。このように、どの色名を例にとってみても微妙に範囲が異なっているのです。
また、ある調査では「さえた黄色」を提示して、様々な人に「何色として感じるのか?」と質問したところ、同じ色でも様々な色名の回答が得られました。

概念図で表わすと、

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という感じです。

人により提示された色を表現する、その認識範囲が異なるという事例といえます。
(よくあることですね)


このような色彩範疇の差違や色彩認識の差違は、異なる一般的解釈をもつ世界間における、言語表現の内包に係わる部分に起因ものといえます。

内包について、オールウド・アンデソン・ダールは次のように述べています。

「世界について語るために我々が言葉を使うことを可能にしているのは一体何なのか。(中略)この問いに関する古典的な回答は『名指し』『ラベル貼り』の関係というものである。それらは対象あるいは対象の集合を名指している。名指し関係には別に問題はなく、問題はまさに、いかにして言語内のすべてのものがある種の名前に還元できるのかというところにある、と考えられている(ことである)。われわれはここで別のアプローチの仕方を取り上げよう。それは内包を、言語を世界に結び付けるために我々が捜し求めていた一種のニカワとして用いることである。内包とは、言語表現の外延に関係づける何かに他ならない。内包は外延を決定する。われわれがある表現の内包に関する知識を持っているならば、それゆえ、その表現が外延としてもつ世界内の諸対象を選び出すための道具―御望みならば原理と言っても良い―を持っているのである。前記の用法に従えば、内包とは関数、すなわちそこに与えられた表現の外延を形作る諸対象を、おのおの可能な状況や世界に対して正確に選び出す何者かだ、ということができる。集合論や様相論理を持ち込むことによって、内包を可能世界から外延への関数へと解釈できるのである。」

「もし、真理値を文の外延と考えるならば(おそらく、いささか奇妙な仮定ではあるが、外延を事実や事態と仮定するのと同じくらい優れた、しかもはるかに単純なことが分かる仮定なのである)、これこそまさに、我々が文の内包に期待していたものに他ならない。文の内包の通例の名称である命題は、それゆえ可能世界から真理値への関数なのであり、他方述語や固体明辞の内包は、それぞれ可能世界から対象の集合および対象への関数なのである。
内包のこのような分析が内包の概念を本質的に言語から独立なものとしている、ということは指摘しておく価値がある。内包はその変域(可能世界)および値域(対象と真理値)として言語外の実在物を持っている。ここで再びわれわれは真理値に結び付ける抽象的非時間的実在物であるのか、それともまた概念論者の見解のように、何らかの心的構成物であるかを決定するという古典的問題に直面する。この問題をどのような形で解くにせよ、我々はともかくも内包を言語に結び付けなければならない。これはあらゆる言語表現に対して適当な内包を我々に与えてくれる一般的解釈関数Iを導入することによって行われる。そこで次のような一般的な表示がえられる」

『日常言語の論理学』 オールウド・アンデソン・ダール著 公平珠躬・野家啓一訳 産業図書 P141


以上の見解から、先ほどの色環におけるY(ここでは黄と表現する)の例を考えてみると、

I (黄)=内包黄
Int黄(Wn)=ExtWn(黄)

ここで、

Wn=指標nをもつ可能世界
I =一般的解釈関数
Int黄=黄に対する内包
Ext黄=Wnにおける黄に対する外延


一般的解釈関数は、黄に対する内包(これ自身一つの関数である)を選び出すと、その場合、黄の内包は任意の可能世界Wnに対してその世界における黄の外延を我々に与えます。そのことを表現すると


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となります。

このように、オールウド・アンデソン・ダールの主張する図式を利用すると、色彩について内包と言語表現が結びつけることができます。
つまり、一般的解釈関数の違いであるマンセルの分類やオストワルドの分類といった差違が言語表現の内包に影響を与え、結果として異なった外延として認識されるという構図なのです。

(以下続く)

投稿者: kameno 日時: 2006年10月27日 07:21

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