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今日は、永平寺を開かれた道元禅師(高祖承陽大師)の降誕の日です。
この日、地元の研修会のメンバーと鎌倉歴史探索を企画(総合企画:tera師)し、北鎌倉?裏大仏の鎌倉古道を巡ってきました。
円覚寺といえば、臨済宗円覚寺派の本山でありますが、曹洞宗の直翁徳挙禅師のもとで印可を受けた宏智派の僧侶・東明恵日禅師を迎えた時期もありました。
【地図】
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.32.54.9N35.20.8.1&ZM=11
【白雲庵】臨済宗大本山円覚寺の塔頭の一つ。
円覚寺第十世で暦応3年(1340)10月4日に示寂(じじゃく)した東明恵日(とうみんえにち)禅師の塔所。正和年間(1312?16)に退居寮として開創。
禅師は曹洞宗を修めた中国元の高僧で、1309年、時の執権北条貞時の招きで来日し、1310年円覚寺第10世となり、暦応3年当寺にて遷化するまで、建長寺(18世)、寿福寺などの住職を務めた。また、白雲庵学林を形成し、関東五山文学の中心拠点となった。
室町時代末期に臨済宗に転宗。諸僧が集まり、本山に大きな影響を及ぼした。
暦応3年に寿塔(大明塔)が造られ、塔頭に列した。
東明恵日坐像(国指定重要文化財)と南北朝期の本尊宝冠釈迦如来坐像(市重文)を安置し、東明恵日送文を蔵する。大明(卵塔)と雲封亭は境致。白雲庵の名の由来は、禅師が中国白雲山の住職だったこと、また「白雲抱幽石」という漢詩の一節に因んでいる。
円覚寺には、江戸時代前期には40の塔頭があった。
現在は18寺の塔頭があり、そのうち住職のおられるところは13寺。
白雲庵はその中で最も古い塔頭である。
日本における禅宗の展開をみる場合、鎌倉時代前期には、求法伝法を目的とした入宋僧が多かったのですが、鎌倉後期になると、多くの禅僧を中国大陸から招聘するようになります。
その一人が東明恵日禅師であります。
また、禅宗の展開は、臨済宗と曹洞宗という分類よりも、五山派と林下禅林とに分けた方が分かりやすいです。
五山派として発展した宏智派は、円覚寺や建仁寺を中心に五山文学を展開していきますが、越前朝倉氏の衰退によりその法灯も絶えてしまうこととなります。
道元禅師鎌倉御行化顕彰碑の場所はこちら
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E139.33.30.9N35.19.23.3&ZM=11
道元禅師降誕の日の鎌倉歴史散歩は、曹洞宗の展開を考える機会をあたえていただいた良い機会でありました。
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今日は高祖降誕会(つらつら日暮らし)
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