伽藍が生かされるということ

新居浜の佛国山・瑞応寺専門僧堂です。

由緒縁起 文安5年(1448)生子山城主松木景村公により創建。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征により、寺も戦火に遭う。
万治3年(1660)分外和尚により再興、広島県徳雲寺の九世白翁禅師を迎える。
文政11年(1828)に焼失。
天保元年(1830)本堂と僧堂、安政3年(1856)山門と中門、回廊が完成。
更に明治30年(1897)に専門僧堂を開設。

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山門を入り、本堂を正面に見て左側に僧堂、右側に庫院という伽藍配置。
僧堂には月舟禅師書による額が掲げられています。
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僧堂は、昭和三十六年に改修され、現在の姿になりました。
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聖僧さまの台に「ゲタ」が履かせられて、高さを調整している事がわかりますね。
その理由は、境内向い側にある韋駄天さまの目線と聖僧さまの目線を合わせるためです。
↓僧堂から庫院方面を望む
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僧堂の魚鼓(ほう)。
永年に亘って、食事の時間を堂内に知らせてきた証が刻まれています。
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僧堂と反対側にある韋駄天さま。
二つ上の写真で見える建物に安置されています。
併設されている光幼稚園の園児が、毎朝韋駄天さまにお参りし、本堂前でお勤めをします。
教育と宗教が切り離されがちな現代にあって、このような生きた教育をおこなってくれる幼稚園はとても貴重です。
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一日の行持を記した黒板。
地方僧堂の特色がよく表れています。
本山修行も大事ですが、その後、このような地方僧堂でゆったりと先哲の教えに触れる生活も貴重だと感じます。修行僧が羨ましいです。
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瑞応寺のシンボル、大銀杏。
金毘羅大権現を祀りるご神木でありますが、県の天然記念物に指定された際に樹齢八百年と推定されました。この八百年は、花尾山金毘羅大権現の創建された年代とも一致します。
ただし、内ノ宮社記には、「ある夜、銀杏樹の上に天の羽衣を着る神人あり。月庭和尚すなわち、斎戒、沐浴、焼香、礼拝、誦経すれば空中より金弊下る。一心祈願すれば紫雲たなびき、天華乱墜して神霊形を現す。よってこれを勧請し奉る。時に霊異あり云々・・・・」という元禄十年の記述があり、樹齢三百年は少なくとも経っていることは間違いありません。
瑞応寺の歴史を見守ってきた歴史ある大銀杏です。
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寺院の伽藍は、歴史と地域性により、その配置が異なっています。
基本的な禅様式の伽藍配置を基本としているわけですが、その伽藍をきちんと使いこなしている寺院というのは意外と少ないことに気づきます。
折角、七堂伽藍があるのに、その建物を使っていなかったり、維持できずに荒廃してしまったり。
曹洞宗門として、このような寺院に何らかの維持に向けての施策をとっていかないといけないでしょう。


瑞応寺は、その意味で、とてもよく運営されている専門道場だと感じます。
隅々まできちんと清掃の行き届いた伽藍がそれを物語っています。


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一、火もと 忘るるなかれ
一、戸じまり ゆるむなかれ
一、朝おき いとうなかれ
一、食べもの 好き嫌いするなかれ
一、節約 かわることなかれ
一、掃除 おこたることなかれ


楢崎老師と
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追記:
瑞応寺は、法堂が真北を向いて配置されています。
つまり、法堂の北側に山門があります。
http://local.google.co.jp/maps?ll=33.919619,133.300434&spn=0.006749,0.009479&hl=ja

寺院の法堂(本堂)は、なるべく南向きに作られるのが通常なのですが、○○に向かって本堂がつくられたり、地形的な理由により向きが変えられたりするわけです。
瑞応寺の場合は後者ですね。

投稿者: kameno 日時: 2005年11月18日 22:50

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