万灯供養

9月3日に開催されるゆめ観音アジアフェスティバルで、舞台の最後を締める万灯供養についてご紹介します。



萬燈供養会がはじめて日本で行われたのは1200年も前の奈良時代のことです。また曹洞宗においては1860年代から70年代にかけて、長野県頼岳寺で修せられたのがはじまりとされております。
 こうした萬燈供養の起源は大変に古いもので、今から約2500年前、お釈迦さまの時代までさかのぼります。

 むかし、古代インド・マガダ国の阿闍世(あじゃせ)王が、お釈迦さまを招待したとき、お釈迦さまの帰り路を萬燈で照らそうと考えました。そこに、物乞いで生きている老女がいまして、この老女はその日に得たものをすべて投じて、わずか一燈のみを献じました。
 その翌日、阿闍世王の献じた萬燈はすべて消えていましたが、老女の一燈はあかあかと点いています。それを目連(もくれん)尊者が消そうとしますが、なぜか消えません。目連は「神通第一」といわれ、超能力に優れた弟子です。その目連が消そうとしても消えませんでした。
 それを見て、お釈迦さまが言われました「目連よ、そなたの神通力によっても、この燈は消すことができないのだ。なぜなら、この一燈こそ、真の布施の燈だからである」と。


 これが萬燈供養の起源とされています。

 今日行われている萬燈供養会は、本尊釈迦牟尼仏・三世諸仏(過去、現在、未来のあらゆる仏様)・並びに各家先祖代々諸精霊、有縁無縁の仏様に萬燈を供養し、また萬燈を燃やして衆罪(多くの罪)を滅除し、きれいな身心となり無病息災・家門繁栄・子孫長久・万難消除・所願成就・世界平和を祈念するものであります。


 御先祖様の冥福を祈り、燃えあがる炎に手を合わせ、私たちが今日元気で生きている姿をご先祖様にご報告申し上げ、感謝をする法要なのであります。

全国曹洞宗青年会 DIGIそうせいより引用




一昨年に行われた様子はこのような感じです。
背景の薄緑の壁のようなものは、巨大な白衣観音像の胸の部分です。
大船を見下ろす小高い丘に作られた舞台で、幻想的に行われる法要なのです。
関東地方ではあまり行われていない珍しい法要ですので、是非、一般の方々にも参加いただきたいです。
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大船で行われる差定(式次第)は次の通りを予定しています。

9月3日午後6時半打出し
一、殿鐘三会
一、七下鐘導師上殿
一、般若心経
一、仏陀神呪
一、配塔婆
一、収塔婆
一、舎利礼文(三遍)
一、拈香法語
一、献茶湯
一、普門品偈
一、回向
一、退堂

今日も、午後から準備と習儀のため、会場に行く予定です。

投稿者: kameno 日時: 2005年8月31日 07:02

コメント: 万灯供養

> kameno 先生

今日、事前練習などがあったんですね。お疲れ様でした。
なんだか、当初予定していたようには参加できなくなってしまいましたが、当日は楽しみにしております。

なお、上の引用していただいた文章ですが、どこかで見たと思っていたら、自分が書いた文章でした(^_^;改めて引用されたのを見ますと、ちょっと恥ずかしいですね。誰も、拙僧の文章だとは分かっていないんですが・・・

投稿者 tenjin95 | 2005年8月31日 16:37

頼岳寺は我が家の菩提寺の本寺になります。総持寺の貫首様だった孤峰禅師が住職をされていました。頼岳寺のホームページにも紹介されていますが幻想的な感じがします。お盆に母親の実家の墓参をした時には頼岳寺の万灯供養の経木塔婆が飾ってあるお墓がありました。

投稿者 ikuo | 2005年8月31日 22:04

tenjin95さん、万灯供養の概略がかいつまんでわかりやすく説明してある文章なので、引用させていただきました。
ikuoさん、懺悔道場の捨身供養もそうなんですが、薄暗い中で、炎の中で供養される儀式というのは幻想的で心に染み渡りますね。

投稿者 kameno | 2005年9月 1日 01:18

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