■はじめに
既存のメディアの収入を見てみると、例えば新聞社は、購読収入と広告収入の2つが重要な収入の柱である。このほかに、刊行物の発行などの付帯事業によって賄うというのがモデルである。
このうち、広告収入により印刷費と人件費、事務所経費をカバーできるのが理想的であると言われている。このようなモデルでは、広告収入を無視しては成り立たないことになる。
ところが、購読者が限られた小さなミニコミ紙や業界紙の場合は、購読料収入は読者層が少ないため、広告収入無くして経営していくのは至難の技である。実際にミニコミ紙のほとんどは、購読料収入よりも広告収入の割合が大幅に超過している。
購読料収入の割合がどれだけ少ないかということが、そのミニコミ紙がどれだけ評価の高い媒体といえるかという指標になりうる所以である。
■ウェブメディアでの可能性を探る
さて、それではインターネットや電子メールなどによるニュース配信ではどうだったであろうか。1995年のウェブ系メディアでは、完全な広告収入モデルがほとんどであったと言える。しかし、1996年ごろから脱広告の動きがあり、WSJやESPNスポーツゾーンのように、広告収入+購読料型のメディアが出現した。しかし、あくまでも広告収入を重要な収入の柱と位置付けており、購読料だけで運営するということは目標には掲げていなかった。
その後の動向として、物品販売収入モデルというものも出現し、サンノゼマーキュリー+バーンズ・アンド・ノーブルのキックバックシステムや、また記事の内容を有料でビデオ配信したり、ESPNスポーツゾーンでも関連商品の販売を行っている。従って、広告収入・購読料収入・販売収入がどの程度の割合になるかという問題になる。
■広告の無いサイバーメディアとは
それでは、完全に広告収入が無いメディアというのは成立するのであろうか。特定の組織が影響を与えるなら、広告収入無くしても成り立つかもしれない。しかし、そうではなく、一般的なサイバーメディアとしてそのようなメディアが成り立つかということを考えてみる。
まず、第一の可能性としては、サイバーメディアの発達によって、情報が氾濫し、情報自体の単価が下落していること、その他方で情報のライフサイクルが伸びていることによるものである。前者は、購読料収入にマイナス要因として働くが、後者は、データベースへの記事蓄積と全文記事検索により記事が将来的にも価値を持ちつづける可能性を示唆している。サイバーメディアではこのようなデータベース型のアーカイブの整備が容易なため、検索エンジンの構築如何によって記事を効率的に検索し、提供することが可能になろう。
そうなると時代を重ねるにつれて、情報のライフサイクルは伸び、データベースとしての価値が付加されていく。
このような蓄積された価値から、どのように利益回収を行うかということを確立するかということが、広告収入から脱却していく第一の可能性であると考えられる。
第二の可能性は、「良いコンテンツは儲かる」というモデルである。企業努力によるボランティア型の無料情報配信というモデルから、さらに一歩進めて、その企業だけが持ちうる独自の情報(購読者が購読料を支払ってもその情報を得たいという質の高い情報)を提供するということである。
第三は、供給するサービスを無料の部分と有料の部分とに階層化するということによる購読料収入の期待である。同じコンテンツを提供するとしても、単にテキストベースでアウトラインのみを提供するのと、詳細記事や映像の付加などの差別化を図ることにより付加価値を付ければ、料金を賦課することが可能であろう。
インターネットの情報=無料というモデルが暗黙の内に成立しているが、それは前段で述べたように情報の氾濫による情報単価の下落というよりは、どのような情報がそこで提供されているのかということが見えないからであり、質の高い情報が提供されているということが理解されれば、購読料を払っても良いと考える読者は多いのではないだろうか。
当然、購読料を払っても欲しいと思える情報を提供できるということが前提条件ではある。
■まとめ
メディアが広告収入に頼ることは、少なからずメディアとしての自由さを失うということでもあり、裏返して言えば、広告の無いメディアというのが「ジャーナリズム」本来の、情報を売るという在り方であると思う。サイバーメディアは印刷メディアに比べて配信費用を格段に安く抑えることが出来る。また、フットワークの軽いメディアであるとも言える。そのような特徴を生かし、「本音」の情報を積極的に配信し、そこにエンパシィを感じる人たちを集めて行けば良いのではないだろうか。
サイバーメディアは既存のマスメディアとは異なった性質を持つメディアである。その点でマスメディアとは棲み分けが十分に可能であり、新しい領域のメディアとして存在していくことができると考えられる。 そしてサーバーメディアに求められる本来の姿というのが、インディペンデンスドであることであり、それを果たすためには、広告収入によらず、購読料収入のみで成立することがもっとも必要なことなのではないだろうか。
結論として、広告の無いサイバーメディアは可能であると考える。これは、広告収入があってはいけないということではなく、広告収入を前提とした在り方ではいけないということであり、それがサイバーメディアの理想的な姿であろう。
新聞にしても放送にしても根っこが同じだと感じました。例えば放送の例でいえば、スポンサーの意に沿わない事は放送しません。お金を払ってくれる企業や団体が社会的に見てもおかしい団体であっても批判しません。やしきたかじんという本業歌手が大阪のテレビ番組である政党の支持団体の批判をしたら「ピー」っと音声を伏せられたそうです。
投稿者 ikuo | 2005年7月 9日 20:21
情報がどこから発信されているのか。
その発信元はどのような経営状況で、スポンサー、政治、宗教などとどのように繋がっているのかを常に認識しておく必要がありますね。
投稿者 kameno | 2005年7月10日 08:42