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今日は彼岸の入りです。
春分の日(20日)を中心とした一週間が、彼岸となります。
このあたりは、お彼岸のトリビア(1)をご参照ください。
この行事は、日本独自のもので、聖徳太子の時代に始まり、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したものです。
彼岸とは、この世(此岸)に対して、悟りの岸(悟りの世界)であり、仏道精進の意とも解されます。
また、彼岸の時期には太陽が真西に沈みますが、この西に沈む太陽を通して西方浄土を観じる、観無量寿経の「日想感」と、日本の古来からの先祖崇拝とが結びついて、日本独自の彼岸の行事が形成されたといわれています。
参考:『岩波仏教辞典』(中村元 他編)岩波書店
前述したように、聖徳太子の時代から始まった彼岸は、蜻蛉日記や源氏物語などにも「彼岸の入り」「彼岸のはて」としての記述があるため、少しづつ広まっていったことが伺えます。
彼岸の歴史を紐解いてみると、その行事の時期は少しづつ変化しています。暦の日を太陽暦に換算して変遷を見てみましょう。
9世紀?18世紀 宣明暦・貞享暦 この時期の彼岸は、春分(秋分)の日から2日後が彼岸の入りで、それから一週間が彼岸とされた。
18世紀?19世紀 宝暦暦・寛政暦 彼岸の時期は定められておらず、年によって変化する。
19世紀? 天保暦 春分(秋分)の日を中心に前後3日間を彼岸とした。
参考:『暦と日本人』(内田正男著) 雄山閣出版
つまり、現在のような彼岸の時期が定まったのは、天保暦以降といえます。
行事そのものの歴史は深いのですが、その時期は変遷していることはあまり知られていません。
さて、冒頭に述べたように、春分(秋分)の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈む日であり、その語源は、春(秋)の昼夜平分の日=「昼夜平」を省略したものです。
つまり、昼と夜の長さが等しくなるのが春分、秋分の日であるわけです。
では、今年の春分の日(2005年3月20日)の日の出、日の入りの時間は・・・・・
国立天文台 天文情報公開センター暦計算室
http://www.nao.ac.jp/reki/hdni/hdnih/hdni00h/hdni36051.html
によると・・・
平成17年(2005年)3月20日 横浜 (東経 139度39分 北緯 35度27分 高さ 0m)
日の出時刻 5:46
日の入時刻 17:53
ん???
昼の長さは 17:53 - 5:46 = 12:07
ということは、夜の長さは 11:53 ですね。
その差は実に14分ほどあります。
トリビア:春分の日は、昼の長さが夜よりも約14分長い ・・・ 56へぇ
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実は、これには理由があります。
第一の理由は、日の出と日の入りの時刻の取り方にあります。
ひので 0 【日の出】
(1)朝、日が東の空に現れ出ること。また、その時刻。天文学的には、太陽の上縁が東の地平線に接する時。ひのいり 0 【日の入り】
夕方、日が西に沈むこと。また、その時刻。天文学的には、太陽の上縁が西の地平線に接する時。日没。『大辞林』第二版 (三省堂)
つまり、太陽が少しでも地(水)平線から顔を覗かせた瞬間が日の出であり、太陽が完全に沈んで見えなくなる瞬間が日の入りと定義しているので、単純計算で太陽の直径分、昼の長さが長くカウントされるわけです。
第二の理由は、大気による光の屈折現象によるもの。
これは、「大気差」と呼ばれ、地平線ぎりぎりにある天体は、大気を斜めに通過していくため、ゆがんで見えます。計算上見えないはずの天体も、光が曲がって到達するために見えるようになります。
大気差により、やはり太陽の直径分ほどの誤差が生じます。
この第一、第二の理由により、合計太陽の直径約2個分、昼が長くカウントされ、約14分の差になって現れるわけです。
ということは、昼夜平分の日はいつなのだろうか????
国立天文台 天文情報公開センター暦計算室
http://www.nao.ac.jp/reki/hdni/hdnih/hdni00h/hdni36051.html
を再び調べてみます。
すると・・・
平成17年(2005年)3月17日 横浜 (東経 139度39分 北緯 35度27分 高さ 0m)
日の出時刻 5:50
日の入時刻 17:50
なんと、本当に昼夜平分の日は今日だったのでした! ・・・ 83へぇ
はじめまして、パパしんと申します。
こちらの手違いで、3つも同じトラックバック送ってしまいました。
余計な分は削除してください。
嫌がらせとかではありませんので、ご了承ください。
本当にすみませんでした。
投稿者 パパしん | 2005年3月19日 23:47
パパしんさん
TBありがとうございます。
重複分は削除してあります。今後ともどうぞよろしくお願いします。
投稿者 kameno | 2005年3月20日 08:33
こんにちは。
実は是非とも、宗教者(歴史ある宗教の)からのご意見をお聞きしたく、コメントとトラックバックを貼らせてもらいました。
私は、おそらく今の日本人に最も多い、無宗教者です。
とは言え、身内を亡くせば経を読んでもらい、お寺に骨を納めます。お彼岸には、お墓を参ります。
一方で、お正月には神社に初詣に行き、しかし結婚式はチャペルで開き、クリスマスも家族で祝うという生活を営んでいます。
しかし、まあ総じて無宗教と言うのが、適当な人間です。
ただ、歴史のあるお寺や神社や教会に行けば、心が洗われる事を実感しますし、歴史ある宗教が説く教えは、心に染みます。
つまり、存在を認めています(不遜な表現ですが)。
しかし一方、これからの数百年で、人類は宗教からの卒業を果たしても良いのかも知れないとも思っています。
いや、正確に言えば、完全な卒業ではなく、ちょうど今の私の様に、多くの日本人の様に、神社やお寺や教会などの存在と意義はちゃんと認めつつも、それ程にドップリとつからない、宗教と人間の関係が、これからは理想なのではないかと思うのです。
『住職』ですから、ひょっとしたら布教の要があるお立場やも知れませんが、今を生きる宗教者として、これからの宗教と人間との関わりについて、お考えをお聞かせ願えればと思います。
投稿者 あさひ素材 | 2005年3月22日 17:55
あさひ素材さん、コメントありがとうございます。
宗教と科学は相反するものではないと考えます。
確かに、現代科学は、生まれ変りとか超常現象とかいったものを信じ込むような宗教とは相容れない部分があることはあるでしょう。
そして、残念なことに、いまの日本の社会では、宗教というと、妄信的な信仰を伴うカルト宗教を指すような風潮があります。
そのような宗教は、確かに現代ではおっしゃるとおり、不要といわれても仕方がありません。
しかしながら、宗教は、科学と矛盾しない形で共存することが可能であると考えます。そして、これから求められる宗教の姿は、むしろそういう形態の宗教がなのだと思います。
なんとなれば、科学の最先端に、宗教的な問題と密接に関係した領野があると考えるからです。
例えば、生命科学の最前線でも、量子力学の最前線でも、宇宙天文学の最前線でもいえることですが、科学と宗教は常に双方を学んでいく必要がある両輪であると思えます。
科学は無秩序に進歩することができるかもしれません。しかしながら、それに人間として適切な制動をかけるのが、倫理であり、宗教でもあるとも考えます。
科学の発達は、全ての面で人間の生活を豊かにするでしょうか。
人間は、自然を征服し、我が物にすることができるでしょうか。
病気を完全に無くすことはできるでしょうか。
末期がんなどの患者に、医学はどう応えることができるでしょうか・・・・
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>神社やお寺や教会などの存在と意義はちゃんと認めつつも、
>それ程にドップリとつからない、宗教と人間の関係が、
>これからは理想なのではないかと思うのです。
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これは、その通りだと思います。
宗教にどっぷりつかり、自分を見失うこと、そして妄信的になってしまうことが一番いけないでしょう。
そのあたりのところは、少しまとめてからブログに出そうと思います。
投稿者 kameno | 2005年3月22日 20:51
こんにちは。
ご回答いただき、ありがとうございました。
追って、まとまってから書いてくださる部分も、楽しみに待っています。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
投稿者 あさひ素材 | 2005年3月24日 11:48