星の効用

風の道・・・つれづれに・・・


 第18回 星の効用  朗読を聞く(RealAudio3.0)

 

 酷熱の夏が去り、日毎に空気が透明になっていく。まるで空気に紗をかけたような夏の熱気が幻だったかのように、夜空を見上げると星がとても近くに見えるようになる。

 秋も半ばを過ぎ、十一月ともなると冬の星座が顔を出してくるようになる。 夜の十時を回ると、東の空からオリオン座が天空に姿を見せる。

 夜空の星座は物語の織物である。例えばオリオン座。天の狩人オリオンは、月と狩りの女神アルテーミスの寵愛を受けたが、女神の兄アポロンの嫉妬による策略で矢に射られてしまう。悲しんだアルテーミスは大神ゼウスに頼み、オリオンを星空に上げてもらったという。オリオン座には、このような物語がある。

 考えてみれば、星空に物語を描いた人々が空を仰いでいたのが、遥か二千年以上も昔のことである。それと同じ空を私達は見上げているのである。何という広く大きい時間感覚だろう。

 しかし、古の人々と私たちが見上げる夜空の星々の時間は、その二千年という時間を軽々と凌駕しているのである。五千光年の恒星の光は、五千年前に恒星が発した光が、たった今届いているということなのだ。もしかしたら、その恒星は死んでしまっているかもしれない。

 百年にも満たない私たちの人生なんて、芥子粒ほどもないのだと感じられてくる。今自分が陥っている事態や悩みが、取るに足らないちっぽけなものと思えてくる。「なんだ大したことないじゃないか」「何くそ、へこたれてたまるか」と元気が出てくる。

 苦しみや悩みに陥っている時、私たちはどっぷりとそこに浸かってしまっている。それらが動きようもない強大なもので、私たちは押しつぶされそうになっている。冷静に物事を見ることのできない、心が熱を帯びている状態なのだ。

 星の光はその熱を冷ましてくれる。苦しみ悩みを、それ以上でもそれ以下でもない、そのままの姿で観察させてくれるのだ。

 仏教の時間の単位に、劫(こう)というものがある。昔日の仏教者達は、これに頗る具体的な説明をつけている。四十里平方というとてつもなく大きな石を、三年に一度空から天女が舞い降りて、その袖で石を払う。そうやって石が完全に摩滅した時間を一劫としているのだ。とんでもなく長い時間である。

 この劫という時間も、星の光と同じである。私たちの心の熱を冷まし、覚醒させてくれる。雄々しく冷静な心で、物事に対させてくれるのである。

 それが、星の効用である。


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