櫓の炎

風の道・・・つれづれに・・・


 第10回 櫓の炎

 高校三年の時のことである。


 私のいた高校では、二年に一度文化祭を開催していた。生徒会の完全自主運営で、教員は予算の提供、要所要所での助言の他は、何 もしなかった。九分九厘、生徒にまかされていたのである。

 私の高校最後の年が、文化祭開催の年になっていた。実は一年の終わり頃から、生徒会に関わるようになっていて、予餞会実行委員、 体育祭実行副委員長、生徒会予算委員などを経験し、いわば生徒会叩き上げの人間になっていた。その総仕上げというわけでもないが、 その年開催される文化祭の実行委員長となったのである。

 文化祭企画委員会が二月末に発足し、全体の企画を練りはじめる。 四月、企画委員会の企画をうけ文化祭実行委員会が発足。事務局、仮装大会を担当する全体企画班、全校の備品の流れを把握し管理す る備品係、看板制作などを行なう装飾班、文化祭の後ファイヤーストームを囲み全校生徒で踊る後夜祭班に分かれ、それぞれの作業を 開始した。

 この中で、最も大変なのは、後夜祭班である。そこで踊るダンスの振り付けを三、四種類、一から創作していかなくてはならないし、 中央の櫓に使用する木材も自分たちで探さなくてはならないのである。もちろん木材を購入できれば早いのだが、そのための予算の余 裕はもとよりないのである。周辺地域の家屋取り壊しの情報を収集し、交渉をおこない、木材を集めおわったのが七月。九月末の本番 二ヵ月前だった。

 夏休みに入っても、休み返上で作業を行なった。みんな汗だくになりながらダンスの振り付けを考え、形にしていく。  私も他の仕事と並行して、後夜祭班にしばしば顔を出した。

 そして、文化祭二日目の、後夜祭当日。

 昼過ぎまで晴れていた空が、櫓組みをはじめた三時過ぎ頃から雲に覆われはじめた。後夜祭の開始は六時である。みんな晴天を信じ ながら、黙々と作業を続けている。

 櫓組みを終えた五時過ぎから雨が降りはじめる。最初は小降りだった。その時点では、後夜祭の屋外決行は動かなかった。しかし、 開始三十分前、台風接近のあおりをうけて雨は土砂降りとなる。逡巡の十分間があった。このまま土砂降りの中決行するか、体育館開 催に変更するかの選択である。雨は一層強く降った。

 職員室とのやりとりの後、開始十分前、屋外決行中止、体育館開催を決定した。生徒会室に、重苦しい空気が流れた。何人かの女生 徒が泣きはじめる。誰もが、準備に費やしてきた時間の重さに耐えかねていた。

 体育館開催の前に、櫓への点火を行なうことになった。土砂降りのなか、全校生徒の眼前で点火を行なうはずだった聖火ランナーが、 それでもにこやかに笑いながら櫓の回りを一巡し、そして火を付けた。

 櫓はぐわっと燃え上がった。激しい雨に抗するように、天高く一条の炎が屹立した。

 音をたてて櫓の木が崩れていく。今目の前で、半年もの時間をかけて築きあげた櫓が、本来の役割を果たさずに消えていく。  しかし、その光景はかなしいくらい荘厳だった。ひたすら美しかつた。

 まわりの仲間を見ると、みんな泣いていた。しかし、先刻の重苦しさは消え、みんな静かな表情をしていた。  その時、私たちは同じ気持ちで炎を見ていたのだと思う。長い準備期間、恋もあった。事件もあった。議論をした。口論をした。仲 たがいもあった。遠くへ遊びに出かける友人を横目に見ながら、夏休み学校に通い続けた。校庭の木々のむせ返るような緑、波のよう に寄せてくる蝉時雨。

 その楽しさと苦しさの混じりあった時間を通ってきた人だけが、今、目の前の炎を美しいと感じることができるのだ。その人だけが、 豪雨の中燃え落ちる櫓の崩れる音を心地よく聴くことができるのだ。

 あれから十二年の時間が流れている。

 ともすれば挫けそうになるときがある。そんな時、私はあの時の櫓の炎を思い出す。それは、落ち込んでいる私の背中をやさしく押 して、前に進む元気を与えてくれるのである。

 


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