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貞昌院墓地参拝専用モノレールを製造している工場は、九州・福岡県の大宰府天満宮にほど近い場所にあります。
検収を終えた後、大宰府天満宮と九州国立博物館に立ち寄りました。
大宰府天満宮は年間850万人以上の参詣者がある神社ですが、新型コロナウイルス感染症による自粛などの影響で、参詣客はまばらでした。
参道入口から鳥居を望む。参道わきには特徴的なデザインのスターバックスがあります。
手水舎には色とりどりの紫陽花が浮かべられていました。
九州国立博物館では、「九州国立博物館開館15周年記念・大宰府史跡指定100年記念特集展示 筑紫の神と仏」と、特別展示「きゅーはくどうぶつえん」が開催されていました。
こちらも、館内はほとんど来館者がなく、貸切り状態。
興味ある内容でしたのでゆっくりと回ることができました。
大宰府天満宮と九州国立博物館の間にある大宰府遊園地も閑散としていました。
■大宰府政庁跡
7世紀後半以降、日本と世界を結ぶ玄関となった役所跡です。
大和朝廷は那の津の官家をここに移し、奈良・平安時代を通して、防衛と海外の窓口となる役所を設置しました。
規模は平城京や平安京に次ぐものであり、南北22条、東西24坊の都市が計画されていました。
現在は、礎石などの遺構整備され、公園となっています。
以前のブログ記事 福岡佐賀研修旅行3 で書きましたが、海外との窓口が置かれた九州北部は、宋の貿易商や禅僧たちが往来し、国際色豊かな地でありました。
中世の港は、現在の港よりもずっと内陸側にあり、那の津・渡唐口には、宋からの船が行き交い賑わいました。
貿易で財を成し得た商人や博多豪商たちが多く、曹洞宗の開祖・道元禅師の一行も商船に乗って宋へ旅立ったと考えられます。
渡航の手続きを担っていた大宰府政庁は、九州の統括と大陸への玄関口、そして海外からの要人を迎える迎賓館としての役割を担っていました。
那の津は、大宰府の窓口として、入出港の要となる港町であったことでしょう。
この近辺には道元禅師に関連すると思われる場所がいくつかあります。
詳細は 福岡佐賀研修旅行3 をご覧ください。