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ルアンパバーンから空路、ラオスの首都ビエンチャンに向いました。
メコン川を眺めながら南に進みます。
ビエンチャンは16世紀の半ばセタティラート王により首都に定められたラオス最大の都市です。
数多くの仏教寺院が点在していますが、最初にワット・シーサケットを拝登しました。
ワット・シーサケット(Wat Si Saket)は、ラオスの1818年に建立され、当時の様式を保っている点でビエンチャン最古とされる寺院です。
ルアンパバーン様式=優美な大屋根が特徴
ビエンチャン様式=本堂を取り囲むように広縁風のベランダを持つ
本堂と、周囲を四角形に囲む回廊には6,840もの仏像が安置されています。
しかし、そのほとんどは戦争や内戦によって破壊されたり装飾の宝石類や金細工等が失われてしまいました。
ラオスの寺院の多くは、シャム(現在のタイ)により破壊され、その後再建された際には当時と異なる形で再建されました。
しかし、ワット・シーサケットは当時の様式を保っています。
回廊の脇に、頭部が失われた多数の仏像が並べられていました。
これまでシャムによる占領、フランス植民地時代、ラオス内戦時代と、数多くの戦乱を経ていることが実感できる光景です。
ワット・ホーパケオ (Ho Pha Kaew)
1565年セタティラート王の命により建立された寺院です。
しかし1779年 シャム王国との戦いにより建物は焼失し、安置されていたルアンパバーンから遷仏されていたエメラルド仏は持ち去られてしまいました。
⇒ラオス研修旅行(4)ルアンパバーンの寺院
1936年に再建された際は当時とは異なる形となり、現在は寺院としての機能はありません。
中庭にはジャール平原から運ばれた石の壷もあります。
タートルアン(That Luang)
タートルアンは、ラオスの中で最高の寺院と位置づけられています。
3世紀にブッダの胸骨を納めるために建立したとの伝承があります。
1566年 セタティラート王により東西南北四つの寺院として再建されましたが、現在は北と南の寺院のみがが残るのみです。
それでもかなりの規模があります。
1828年にシャム王国との戦いにより建物は破壊され、1936年に改修されて現在に至ります。
正面に見える黄金の仏塔がタート・ルアンです。
タート=仏塔
ルアン=大きな
タート・ルアン正面手前に首都をルアンパバンからビエンチャンに遷都したセーターティラート王の像があります。
その付近からタート・ルアンをバックに一同で記念撮影をしました。
セーターティラート王の像左手にはWat Thatluang Neuaがあります。
タート・ルアンは蓮の花を模した3層構造になっていています。
そこに入るためには、チェックポイントがあり、男性用と女性用の入口に分かれており、女性は巻スカートを着用しなければなりません。
観光客用に、巻スカートのレンタルがあります。
中に入ると仏塔の周りは芝生になっています。
↑写真は、布施をする際に用いる御輿状のものです。
10名ほどの僧侶を先頭に、タート・ルアンの周囲を歩く一行に出会いました。
僧侶の後には、たくさんの紙幣がくくりつけられたものや、花が飾られた御輿を持って行列をなしています。
そして、タート。ルアンの真裏に設けられた僧侶が並ぶ祭壇のスペースに至り
紙幣や供物などを僧侶に納めます。
なお、旧暦12月の満月の日にはラオス最大の仏教祭、タート・ルアン祭が開催されます。
この祭りには、ラオス国内外から多数の僧侶が集まり盛大に開催される最重要の仏教行事の一つです。
今年2013年は11月17日(日)が満月となり、その一週間前から祭りが徐々に盛り上がり、17日にピークとなります。
タート・ルアンの右手にある Vat That Luang Taiにはすでに僧侶(+信者(+イヌ))の宿泊施設も埋まり始めています。
そして、タート・ルアン寺院の夜の様子は次のブログ記事でご紹介します。