シンガポールの曹洞宗寺院

6月2日から6日にかけてシンガポールに行ってきました。
あまり知られていないことだと思いますが、正式な曹洞宗寺院・日本寺がシンガポールにあります。

日本寺で毎年6月4日に行なわれている開山忌法要、および施食会法要に随喜いたしました。
その際に、日本寺および、日本寺のある日本人共有墓地についての沿革を調査して参りましたので、報告いたします。

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日本人墓地は110年もの歴史をもつ公園墓地です。
墓地面積は 29,359平米、墓標数は910基を数えます。
ただし、墓標数は現在残されている数であり、当時は木の墓標や、墓標すら無く埋葬された日本人も数多いのです。

また、明治から昭和初期に掛けて日本からシンガポール(当時は英領)に渡った日本人の多くは「からゆきさん」と呼ばれる農村、漁村などの貧しい家の娘さんたちでした。


からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。
こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになった。1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。
第二次世界大戦後、からゆきさんの存在は「戦前日本の恥部」として一般に知られることは少なかったが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が現れた。
からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地である。特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣された。 また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もある。(ウィキペディアからゆきさん 項)

自ら渡航したからゆきさんも多かったようですが、大部分は経済的事情で売り渡されたり、または誘拐されて強制的に渡航させられた方もかなりいたようです。
いずれにしても、一番の被害者は何も知らずに渡航させられた女性たちです。
異国の地で、娼館へ売られ、当地で死去した日本人たちの遺骨は牛馬の棄骨場に埋められていたという記録があります。
この事実をタブー視するのではなく、人権問題として、また歴史的事実としてきちんと整理して検証していく必要があるでしょう。

日本人の遺骨が牛馬の棄骨場に埋められていたということを悲しんだ二木多賀治郎は、1888(明治21)年、同胞の渋谷吟治、中川菊三と連盟で英国植民地政庁に自己所有地8エーカーを日本人共有墓地として使用する申請を行い、3年後に正式許可を得ました。
それが日本人共同墓地のはじまりです。

1896(明治26)年には、兵庫県出身の釈種楳仙老師がシンガポールに渡り、日本人共有墓地の中に草庵を造りました。
曹洞宗僧侶の渡航によって、それまで供養もされずに牛馬の棄骨場に埋められていた からゆきさんなどのシンガポールの地で没した日本人たちが、ようやく人間らしく供養されることとなりました。

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その後、1911(明治44)年には、墓地内に曹洞宗釈教山西有寺が建立され、大正時代に入ると日本人会が設立され、共済会と協同で墓地管理を行こととなります。
戦争の色が濃くなってくると、日本人墓地には、からゆきさん、戦前活躍した日本人たちとともに戦争関係の軍人たちも埋葬されていきました。

しかし、日本の敗戦により、日本人共有墓地は英国に接収され、寺院伽藍は朽ち果ててしまいます。

1969(昭和44)年になり、ようやく福田庫八郎他3名がシンガポール高等裁判所に日本人共有墓地の土地の返還を申請し、許可を得るものの、シンガポール政府は日本人墓地を含む市内42箇所の墓地に対して埋葬禁止令を発令しました。

1985(昭和60)年、日本人墓地に埋葬されている方々を継続的に供養するために、曹洞宗により御堂(日本寺)が再建され、日本人会に寄贈されました。
以降、日本寺は日本人会により管理され、毎年6月4日に神奈川県西有寺および関連寺院により開山忌、施餓鬼法要が営まれています。

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ただし、日本寺は宗教法人の法人格は取得しておらず、シンガポール内での位置づけはあくまでも墓地公園内の御堂です。
さらに、シンガポール政府より、日本人共有墓接収の告知があり、その期限が5年後(2019年1月)に迫っています。

日本寺の存続のみならず、110年の歴史を重ねる日本人共有墓地は、現在存続すら危うい状況にあります。

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日本人共有墓地には、立派な墓もありますが、ただの石が置かれているだけの墓もあります。
また、墓の存在すら失われている墓地も数知れずあります。


 

6月4日の法要には、西有寺御住職、日本寺関連寺院、神奈川県第二宗務所所員、寺族さん、関連のみなさまにより営まれました。
また、開山忌に引き続き行なわれた施食会法要では、日本人共有墓地に眠る全ての御霊に、また、東日本大震災をはじめ多くの天災地変や戦争で亡くなられた全ての方々に対して回向されました。

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日本人にとって、シンガポールの日本人共有墓地は、大正、昭和の日本人海外史が偲ばれる重要な場所です。
また、からゆきさんという人権侵害の象徴ともいうべき事実を記録している場所でもあります。

シンガポールへお越しの際は、是非足を運んでいただき、お参りをしていただきたい場所だと感じます。

 


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投稿者: kameno 日時: 2013年6月 7日 00:34

コメント: シンガポールの曹洞宗寺院

はじめまして。こんにちは。
私は、からゆきさんについて、勉強している者です。
ひょんなことから、釈教山西有寺さんを知り、インターネットで検索を
しましたところ、貴ブログに辿り着きました。
拝読しましたところ、シンガポールのからゆきさんについて書かれていて、
また、今村昌平監督による映画「からゆきさん」や監督の著書である
「遥かなる日本人」の中に出てくる福田庫八郎さんのお名前も書かれていて
大変驚きつつ、また感動しています。
日本の郷里に帰るに帰れなかった、そして異郷の地に眠りについた
からゆきさんに思いを致しました。
現地での貴重なご情報を有難うございました。
ブログが掛かれた日より、相当月日が経過しておりますが、
コメントを寄せさせていただいた次第です。
お目汚し、失礼いたしました。

投稿者 継田恵美 | 2017年3月13日 18:34

継田様
コメントありがとうございます。
からゆきさんについては、忘れ去られてしまい散逸してしまった資料も多く、また知る方も少なくなっています。
是非、研究を進めていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

投稿者 kameno | 2017年3月14日 20:07

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