管区婦人会研修旅行(2)佛種を植ゆる人

仙石原から国道1号線に向かって下り大平台駅に程近い国道沿いの林泉寺様を拝登させていただきました。

こちらには内山愚童師(1874-1911、以下、愚童師と略称)が20世住職として晋住されています。
愚童師は、新潟県に生まれ、20歳の時に上京、1897(明治30)年に神奈川県宝増寺で出家(天室愚童を称す)、同県海蔵寺にて修行、1900(明治33)年曹洞宗第十二学林を卒業、1901(明治34)年温泉村宝珠院で嗣法、1904(明治37)年神奈川県足柄下郡大平台、林泉寺20世住職となりました。

こちらのブログ記事をあわせてご覧ください ⇒ 佛種を植ゆる人-内山愚童師

ノミの痕が美しく残る穏やかな表情の仏様。

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これは、箱根・林泉寺20世住職、内山愚童師(1874?1911、以下、愚童師と略称)自らの手による佛像です。
戦時中、多くの青年たちが戦場へと招聘されていきましたが、残された家族のために、彫ったものだそうです。


林泉寺裏の墓地にある愚童師の墓地を参拝させていただきました。
愚童師の墓石は手前の自然石だけでしたが、後になって「内山愚童」と彫られた墓石が建立されました。

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なぜ、愚童師はそのような扱いを受けることになったのかというと、1911(明治44)年1月24日に、幸徳秋水らとともに起こした「大逆事件」に連座したとされて処刑され、曹洞宗の僧籍を剥奪(宗門擯斥)処分されたからです。
「大逆事件」(幸徳秋水事件)とは、日露戦争後における日本の社会主義運動を壊滅させることを意図した第2次桂太郎内閣の方針のもとにフレームアップされた明治天皇暗殺計画とそれに対する裁判です。

当時の曹洞宗宗門は、富国強兵の時代に迎合し、仏教思想の独自性に生きた愚童師を擁護することなく、むしろ強力に天皇制支配の体制に立脚した措置をとりました。
しかしながら、「大逆事件」は、確かに暗殺計画者があった反面、童師のように全く無実の者も多く起訴された極めて冤罪性の強い裁判といわれます。

戦後になり、「大逆事件」そのものの不当性が明らかになり再審請求なども行われました。特に愚童師の小作人の解放、徴兵制度の廃止、女性の自立など、思想的にも、高い先見性を持った側面も見られます。
そのために、1992(平成4)年1月10日、林泉寺住職木村正寿師(当時)より「元林泉寺住職・内山愚童師の名誉回復について」という僧籍復帰の関する嘆願書が提出され、宗門はこれを受理しました。

これを契機に、1993(平成5)年、ようやく宗門擯斥処分を取り消すことが決定となり、林泉寺の20世として復権し、歴代住職に名を連ねることとなりました。

 

林泉寺御住職様により、大平台の人々をこよなく愛し、民衆の苦しみや辛さを自らの痛みとして背負って生きてきた愚童師についてお話をいただきました。
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カク奮闘シテ得ル処ノ自由トハ 如何ナル者デアルカ。
一口ニ之ヲ云フナラバ、自己ノ意志ニ従ッテ何事モ行動ヲシ、決シテ他ノ為ニ之ヲ妨ゲ枉ヘラルゝ事ノ無イ、即チ飽クマデ自己ノ意思ヲ尊重シ ソレト同等ニ他人ノ意思ヲ尊重シテ、平和ニ生活ヲナシ往ク事デアル。
要スルニ人類ノ終局目的ハ独立自活・相互扶助ニアル。
語ヲ更ヘテ云フナラバ、自由・平等・博愛ノ実現ニアルノデアル。

内山愚童(署名) 手記『平凡の自覚』より

 
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林泉寺の場所は、国道一号線沿い、箱根登山鉄道・大平台駅前です。
お近くをお通りの際は、立ち寄って参拝されては如何でしょうか。
 http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/14/07.213&el=139/04/35.299&scl=25000&bid=Mlink

【関連リンク】
曹洞宗公式ホームページ
 http://www.sotozen-net.or.jp/oshie/jinken/bn0506.htm

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投稿者: kameno 日時: 2012年10月10日 22:19

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