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教区の施食会(おせがき)も終盤を迎えました。
各寺院を回るなかで、S寺様の控室に次のような色紙が置かれていました。
その中で出た話題です。
何気なく見過ごしてしまいがちですが、左側の字に注目してみましょう。
瑩山と書かれている「瑩」の字がちょっと違いますね。
なお、瑩山は「けいざん」と読みます。
曹洞宗の大本山は永平寺と總持寺が両大本山であり、道元禅師(どうげんぜんじ)と瑩山禅師(けいざんぜんじ)が両祖様であります。
さて、漢和辞典に記載されている「瑩」の字は次のようなものです。
(玉の部10 15画)
たいていの仏教書、曹洞宗で出版されているものも含めて、瑩山禅師はほぼ例外なく上記の字で記述されています。
ところが、色紙では次のようになっています。
では、瑩山禅師ご自身ではどのように書かれたかを見てみると、私のホームページの中にに丁度資料がありました。
⇒總持寺の国重要文化財・市指定文化財
大本山總持寺に保存されている『観音堂縁起』です。
この『観音堂縁起』は、『諸岳観音堂之記』『瑞夢記』とも称され、瑩山禅師が瑞夢により寺領などを譲り受けて寺院を創設することになった経緯をご自身で書かれたものです。
数少ない瑩山禅師自筆文書です。
文末の部分を拡大してみましょう。
やはり下の部分は「宝」となっていますね。
私が總持寺に安居していた時代には学科講義の中でこの話題に触れられたこともあり、また冒頭の色紙のように字を忠実に再現している事例もありますので、知っている方にとっては自明の知識でしょう。
しかし、反面、意外に知られていないトリビアでもあります。
宗門人としては知っておくべき知識でありましょう。
この 「瑩」の字について、N先生により学術的考察と提起がなされ発表される予定のようです。
ご成果を楽しみにしております。
■関連ブログ記事
夜空に奔(わし)る道元禅師・瑩山禅師
洞谷山永光寺
間違いなく、これはトリビアネタですね(笑)
今まで気付けなかった自分が恥ずかしいです(汗)
投稿者 叢林@Net | 2011年8月 9日 12:15
これは大発見ですね!今まで宗門で知られていなかったのでしょうか?
投稿者 うさじい | 2011年8月10日 05:38
叢林@Netさま
至極当たり前と感じている事象ほど、先入観により正しいことがみえていないということがあるのかもしれませんね。
うさじい様
例えば大本山總持寺では、焼香師到着帳に書かれた文字が活字になければ「外字」を作成して明朝差定に掲載します。特に名前の漢字については重みがありますね。
免許証も、該当漢字が無ければ手書きや外字で対応しているはずです。
その意味からいえば、瑩山禅師の「瑩」の字は真っ先に論議されるべきであり、読み方が「けいざん」なのか「えいざん」なのかというよりも更に根本的な問題といえましょう。
投稿者 kameno | 2011年8月10日 08:17
ちなみに、学術大会での発表予定はないのでしょうか(笑)
投稿者 叢林@Net | 2011年8月11日 11:55
叢林@Netさま
文字の違いについて気付かれているかたは、恐らく何人も居たはずですが、それをN先生が学術的に考証し纏められていると伺っています。
近いうちに論文が発表されると思います。
投稿者 kameno | 2011年8月12日 10:48
>それをN先生が学術的に考証し纏められていると伺っています。
近いうちに論文が発表されると思います。
そ、それも知りませんでした(汗)
投稿者 叢林@Net | 2011年8月12日 17:17