津波から命を救った先人の智恵

31749両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。
日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。
(時事通信2011年4月24日より記事、写真を引用)


奥松島に浮かぶ宮戸島は、松島湾の東端に位置するために、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けました。
宮戸島の各所にある浜(室浜、大浜、月浜など)の集落は壊滅的となってしまいました。さらに島を結ぶ連絡橋が崩落し復興の妨げになってしまいました。
しかし、住民約千人のうち9割以上の方が宮戸小学校に避難し助かりました。

島民の命を救ったのが、平安時代に発生した貞観地震の際に大津波が押し寄せ、ぶつかった場所に設定されてた石碑でした。
先人の言い伝えを大切に伝承し、習慣付けておくことがいかに大切かがわかります。

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高台にある宮戸小学校。
授業が行われていました。
写真では何とも無いように見えますが、体育館は避難所に、校庭には自衛隊による仮設のお風呂が設置されています。
記事にある観音寺様はこの小学校の直ぐ下です。

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(万葉の湯のタンクローリーも見かけました)

 
震災から暫くしてようやく陸上自衛隊により仮橋が架けられるまでは自衛隊のヘリコプターによる水や物資の輸送に頼る生活をされていました。
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現在でも電気、ガス、上下水道が通っておらず、まずはライフラインの復旧が待ち望まれます。
宮戸島を結ぶ松ヶ島橋では、新しく電柱が立てられ、電線を張る作業が急ピッチで進められていました。

投稿者: kameno 日時: May 26, 2011 12:07 AM

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