奥松島 宮戸島へ

今週、神奈川県第二宗務所管内有志により東松島宮戸島へ行っておりました。
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島へ渡る松ヶ島橋は津波で流されてしまい、自衛隊により仮設橋と砂利が敷かれてようやく仮復旧しています。
14トン以上の車両は災害派遣等従事車両以外は通行ができません。 

宮戸島で避難生活を送られていらっしゃる方は500人弱。(里浜地区251人、月浜地区80人、大浜地区18人、室浜114人)。
普段は、自衛隊や自治体から届くお弁当とパンと即席味噌汁などを各地区へ取りまとめて配達しています。

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炊き出しがある場合には、2日前くらいに広報、それにより各地区から住民の方が里浜の縄文村に受け取りに来ます。
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動静は日によって異なるので、目安の数字が掲示板に書かれています。
(この状況も時間の経過とともに変わっていくことでしょう)

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典座老師を中心に調理前の全体ミーティング。
献立と、それを調理する手順、分担が細かく打合せされます。
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翌日の朝は、中華風お粥と煮物、サラダ。
今までは朝に炊き出しが行われたことは無かったのです。
前日まであったパンの配布が、この日無くなったということで、動静数を増やし、当初スープだったものをお粥にメニュー変更しています。 

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野菜は、宮城県青年会のご協力により、名取市で調達していただきました。

 

プロパンガス、コンロ、鍋、食材、配布容器、その他もろもろ全てを調達して、洗い物をしてゴミの回収まで自己完結型で全てを行わなければならないという条件、電気もガスも水道も無い、しかも博物館の玄関前エントランスでの炊き出しという条件の中で、今回典座の指揮をいただいたR寺老師には本当にお骨折りをいただきました。
言葉には尽くせないほどのご配慮もいただきました。
そして、改めて食事の持つ意味と重さを感じた2日間でした。

投稿者: kameno 日時: 2011年5月27日 11:56

コメント: 奥松島 宮戸島へ

水が無いことが、いかに大変かということが身に沁みました。口先だけの「もったいない」は通用しません。

「杓底の一残水 流れを汲む千億人」
一滴の水が多くの命を活かし、命を実感させるのですね。高祖さまの教えが少しわかった感じがします。

困難な状況の中での調整役は扇の要。お疲れさまでした。心よりお礼申し上げます、有難うございました。

投稿者 りんしょう | 2011年5月27日 18:29

りんしょう様
普段気にせずに使いがちな水の大切さを改めて実感しました。
そして、食事に向かう姿勢を実践して教えていただいたりんしょう様に感謝申し上げます。

宮戸、観音寺の方丈さま曰く、縄文村があるんだから縄文時代の生活に戻れば良い。アッハッハ・・・
室浜では牡蠣養殖の準備作業が壊滅的な瓦礫の真っ只中で行われていました。
なんという力強さでしょう。

投稿者 kameno | 2011年5月27日 19:32

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