東海道線は上大岡を通る計画だった

毎月開催されている港南歴史協議会の会合では、所属している各団体より事業報告や、これから計画される講座や街歩きなどの情報が交換されています。

また、様々な情報を持ち寄り、論議しながら郷土の歴史についての知識を深めていっています。

この日開催された協議会では、今月19日に開催予定の区民企画講座の内容をプレビューが行なわれました。
ナビゲータは長谷川敏雄さん。


上大岡駅は、湘南電鉄(京浜急行)により昭和5年に開業となります。
しかし、それよりもずっと以前に上大岡付近を通る東海道線の鉄道計画があったということを、路線計画図や新聞報道などの史料をもとに紐解いていきます。


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第3回 区民企画講座「こうなんの歴史」 kamioooka2.jpg

テーマ 「東海道線は鎌倉街道を通る計画だった!」
日時 2009年9月19日(土) 10:00-12:00
場所 港南台タウンカフェ
講師 長谷川敏雄さん
主催 港南百景デジタルアーカイブ会
共催 港南区役所・まちづくりフォーラム
参加費 500円(資料代、お茶代として)

 東海道線開通に至る間の秘話をご紹介いたします。
 なぜ、保土ヶ谷、戸塚ル?トへ変更になったのか?
 なぜ、東海道線は開通当初、桜木町でスイチバックをしていたのか?
 その謎ついての歴史的な背景のお話しです。

 
 

初代横浜駅(現在の桜木町)から鉄道が西へ延伸される際に、保土ヶ谷、戸塚ではなく、現在の鎌倉街道沿いに計画されていたという話から始まり、港南区内での鉄道計画の変遷を辿っていきます。

横浜の副都心と位置づけられている上大岡は、今でこそ大きな街に発展しておりますが、当時は水田や畑の広がるのんびりした村でした。

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明治36年ころの(現在の)上大岡駅周辺  『港南区の歴史』より引用
 

もし、この計画が実現されていて、東海道線が上大岡を通ることとなっていたら、港南区の歴史は大きく変わっていたはずです。

このほか、京浜急行が横浜?上大岡間において、幾つか不自然なカーブを描いている理由、根岸線が計画された秘密など、雑学が満載の講座となることでしょう。

とても興味深い歴史講座ですので、是非ご参加されることをおすすめいたします。


■関連リンク

東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった! (ハマちゃんのがらくた箱)

投稿者: kameno 日時: 2009年9月 2日 23:01

コメント: 東海道線は上大岡を通る計画だった

亀野さん、おはようございます
いつも、私達の活動の情報開示・公開をありがとうございます。現在は、風評ではなく、確かな資料に基づく情報開示(情報の共有化)が大切と思います。今回の長谷川さんの講演は非常に多くの資料に基づく、その時代の様子を垣間見る上でも、大変に楽しみな講座と思います。今後とも、宜しくお願い致します。

投稿者 ちのしんいち | 2009年9月 4日 10:56

ちのさま
記録を残す人、その残された記録を再構築する人がいて、その時代を生きた人の記録が活かされます。
当日が楽しみです。

投稿者 kameno | 2009年9月 5日 01:40

茅野様からメールいただき、亀野様のブログにて先日のお話をご紹介していただいているとの事を知り大変感謝しております。

小さな港南区の歴史でも、当時の国内情勢・世界情勢・科学技術情勢等に大きく左右されている事が判って来ると、ちょっと地元の歴史が身近に感じて来ると思っております。

この様などうでも良い事は、あまり調べている人もいない様で、少しでもこの様な事があったのだと感じていただければ幸いです。

投稿者 ハマちゃん | 2009年9月 5日 10:08

ハマちゃん様
先日は、貴重な史料の数々を紹介戴き有難うございました。
きっと参加者の方々に多くの学びを与える会となることと存じます、当日を楽しみにしております。

投稿者 kameno | 2009年9月 6日 22:07

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