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永野小学校は、明治10年に創立した野庭学校と、明治12年に創立した永谷学校が合併して、明治25年現在地に開校した伝統ある小学校です。
その創立のきっかけとなったのが、勝海舟の家臣であり明治初期の教育者でもある平野玉城氏でした。
氏が永野の地に訪れることとなったいきさつについてはこちらをご参照ください。
⇒http://teishoin.sakura.ne.jp/nagano/11.html
当時の村人たちは、平野氏のすぐれた人格、深遠な学識に目を見張り、当地に滞在するよう懇願しました。
平野氏もそれを快諾し、夫婦でこの地に留まることとなり、寺子屋の先生として四書五経などを講じました。
明治10年には、村民たちに推されて棲心庵学舎に第三級訓導として正式に教職に就かれると、さらに評判が評判を呼び、入学者が殺到します。
そこで、村人たちの寄進により現在の水田付近(港南区下永谷)に永谷学校が新築されました。
明治12年のことでした。
平野玉城氏が自らの手により作られた『修身』の教科書が国会図書館に保存されていました。
永谷学校でもこの教科書が使われていたと思われます。
「修身」は、現在の道徳に相当するものでありますが、大東亜戦争(太平洋戦争)以前は主に大日本帝国の臣民(国民)の育成を目的におこなわれたものであり、皇民化教育の一翼を担ったとされます。
皇民化教育にあたる箇所は問題としても、それ以外の部分は、現代においても学ぶべき事項は多いと思います。
当時は、学制の中で道徳教育が「修身科」として、小学で「修身」、中学で「修身学」が行われていました。
その中で、低学年での修身は、主に「修身口授」として先生の談義や口述によるものが行われるのが普通であり、教科書はほとんどが欧米の倫理書等の翻訳本であったため、児童には容易に理解できるものではなかったようです。
(当時広く使われていた『和漢修身訓』の例。明治15年・亀谷省軒著。国会図書館より)
たしかに児童には難しいですね。
そこで、平野玉城氏は、児童にも内容を判りやすくするために、日ごろの心構えなどを中心に平易な言葉に置き換えて教科書の副読書としてまとめたのでしょう。
(『和漢修身訓俗解』 明治17年・平野玉城編)
『和漢修身訓俗解』 巻1を、テキストに直してみました。
(原文ではわかりにくい箇所があるため、一部現代文に変えてあります)
例言
1.此書は小学教科書の一なる和漢修身訓を俗語に解し、原書の傍に置て参考に供え児童をして記誦に便ならしめんとするの本旨なれば、一々其全文を挙げず
1.本県の教則に遵て第六巻に止るものとす。而して巻一第三章より前後少しく俗解の体を更るものは詞答筆答の別あるを以てなり
1.解辤は主として俚言俗語を用いるにより往々妥当の義訓を失するもの多からん、幸に後日の訂正を俟つ
明治17年8月
編者誌
和漢修身訓俗解巻一
平野玉城編
巻一
第一章
○父母の恩は云々
チチハハノ、オカゲハ、ヤマヨリモ、タカク
○父母の恵ミ
チチハハノ、メグミハ、ウミヨリモ、フカイ
○深き恵みに
フカキメグミニ、コタへルニハ
○厚き心を
アツキココロヲ、ツクシナサイ
○父母の教は
チチハハノ、ヲシエハ、ソムイテハ、ナリマセン
○父母の誠ハ
チチハハノ、意見は、ソノトオリニ、ナサイ
○父母己を愛
チチハハガ、ジブンヲ、カワイガラバ、ウレシガリテ、ワスレルコトナク
○父母己を悪まば
チチハハガ、ジブンヲ、ニクムトキハ、アトヲキヲツケテ、ウラミテハ、ナリマセン
○父母の憂ふる
チチハハノ、シンパイナサルコトハ、トモニ、シンパイシイ
○父母の楽む
チチハハノ、タノシミナサルコトハ、トモニ、タノシミナサイ
○よく親に事る
ヨク、オヤニツカヘル、コレヲ、コウコウトイヒ
○よく兄二事る
ヨクアニ二ツカヘル、コレヲ、テイトイフ
○孝を尽せば
オヤニ、コウコウスルノハ、ニンゲンノミチ
○悌を致さば
アニニ、テイスルハ、セケンノオシエ
○孝悌ハ身を
ヨク、オヤアニニツカヘルハ、シュッセスルノ、モトデアリマス
○愛敬は孝を
イツクシムト、ウヤマフトハ、コウコウヲスルノ、モトデアリマス
○愛とは人を
アイトハ、ヒトヲカワイガリテ、ウトウトシクセヌコト
○敬とは人を
ケイトハ、ヒトヲ、ウヤマヒテ、ソマツニシナイコト
○父母愛せる
チチハハノ、カワイガルモノハ、ジブンモカワイガリ
○父母の敬する
チチハハノ、ウヤマフコトハ、ジブンモウヤマフ
○己より年長せる
ジブンヨリ、トシウヘノヒトハ、ミナウヤマフ
○己より年少き
ジブンヨリ、トシシタノモノハ、ノコラズカワイガル
○能く弟妹を
ヨク、オトウト、イモウトヲ、カワイガルノヲ、イウトイフ
○善く親族に
ヨク、シンルイニ、ツキアフノヲ、ムツマシミトイフ
○利をあらそへば
モウケヲ、ハリアヘバ、キョウダイモ、トホドホシクナリ
○利を貪らば
モウケヲ、ヨクバレバ、ミウチノヒトガ、カマヒマセン
○親戚背かば
ミウチデ、カマハヌトキハ、ソノイエ、ヨワリ
○兄妹和せざれば
キョウダイ、ナカヨクセネバ、オヤが、シンパイシマス第二章
○朝は父母に
アサハ、チチハハニ、サキニタッテ、オキ
○夜は父母に
ヨルハ、チチハハヨリ、アトカラネマス
○夙に父母の
アサハヤク、チチハハノ、ゴキゲンヲタヅネ
○常に父母の
フダン、チチハハノソバヅカヒニ、ナリナサイ
○父母召せとき
チチハハノ、ヨバルルトキハ、イソイデユキマス
○父母疾むとき
チチハハノ、ヤマヒアルトキハ、オソバニ、ツイテオリマス
○父母に事へ
チチハハニ、ツカヘテハ、カオイロヲ、ヤワラカニシ
○父母に対
チチハハニ、ムカヒテハ、コトバヲ、シヅカニシマス
○坐せるには
スワルニハ、タダシクナサイ
○行くには疾走
アルクニハ、、ハシリテハ、ナリマセン
○面は洗うべし
カオハ、アライナサイ、アカジミテハ、ミグルシクアリマス
○髪は櫛るべし
カミハ、ナデツケナサイ、ミダレテオルト、ミニククアリマス
○孝子は危きに
コウコウのコハ、アブナイトコロニ、ノボリマセン
○孝子は深きに
コウコウノコハ、フカキトコロニ、チカヨリマセン
○長幼の体ハ
オトナ、コドモノ、レイギハ、ナクシテハ、ナリマセン
○尊卑の分は
タットキ、イヤシキノ、ワカチハ、ミダシテハ、ナリマセン
○食せるときハ
ショクジヲ、スルトキハ、ハナシヲ、シマセン
○故なくして
ワケモ、ナキニ、トリケモノヲ、コロシマセン
○戯れに魚虫を
ナグサミニ、ウオヤ、ムシヲ、ソコナイマセン
○園裡に新花を
ニワノウチノ゙、アタラシキ、ハナヲ、オリテハ、ナリマセン
○籠中の飛禽を
カゴノナカニ、トブトリヲ、カフコトハ、ヨシニナサイ
○壁には字を
カベニハ、モジヲ、カキマセン
○席には墨を
シキモノハ、スミニテ、ヨゴシマセン
○炉辺に火を
イロリノ、ソバデ、ヒヲモテアソブコトハ、ヨシニナサイ
○途上に石を
ミチバタデ、イシヲ、ナゲルナ
○礼儀は習ふを
レイギニ、ナレタルヲ、ケダカキ、ヒトトシ
○礼儀に疎きを
レイギニ、ウトキモノヲ、イヤシイ、ヒトトシマス第三章
○養生は孝道の
カラダヲ、ダイジニスルハ、オヤニ、コウコウスルミチノ、ハジメナリ
○運動は健康の
カラダヲ、ウゴカスハ、ジョウブニスルノ、モトナリ
○過食は脾胃を
タベスギハ、ヒノゾウト、イノフヲ、ソコナヒ
○不潔ハ疾病を
キレイニセヌト、ヤマイヲ、オコス
○身体は数沐浴
カラダハ、タビタビ、チョウヅヲツカヒ、ユアミスベク
○住所は努めて
スマイハ、セイイッパイ、ハキキヨメスベシ
○酒は旨けれども
サケハ、ウマケレドモ、コドモニ、サワリアリ
○薬は苦けれども
クスリハ、ニガイケレドモ、ヤマヒニ、キキメアリ第四章
○言少ければ
コトバ、スクナケレバ、アチヤウホウ、スクナク
○言多ければ
コトバ、オオケレバ、ナンギ、オオシ
○問ふとあらば
トハレル、コトアラバ、ヘンジヲ、スベク
○問ふことなくば
トハレル、コトナクバ、ダマリテ、オルベシ
○人を笑へば
ヒトヲ、ワラヘバ、ヒトニ、ニクマレ
○人を諂へば
ヒトニ、ヘツラヘバ、ヒトニ、ワラハル
○人を罵れば
ヒトヲ、ワルクイヘバ、ソノヒト、ハラヲタテ
○人を譏れば
ヒトヲ、トガメテ、ワルクイヘバ、ソノヒト、ウラム
○人の悪事は
ヒトノ、アシキコトヲ、ハナスナ
○人の善行は
ヒトノ、ヨキオコナヒハ、ワルクイフナ第五章
○学ぶときは
ガクモンスルトキハ、トクアル、ヒトトナリ
○学ばざれば
ガクモン、セヌトキハ、トクナキ、ヒトトナル
○学ハ勉強を
ガクモンハ、セイヲダスニ、ヨリテススミ
○事は遊情に
コトハ、ナマケルニ、ヨリテ、シソコナフ
○学問は人の才智
ガクモンハ、ヒトノ、ハタラキ、チエヲ、フヤシ
○学問は人の名誉
ガクモンハ、ヒトノ、ヨキヒョウバンヲ、オコス
○学ばざれば瓦石と
ガクモンセネバ、カワラヤ、イシト、オナジコト
○教なければ
ヲシヘノ、ナキトキハ、トリケモノニ、ニテオル第六章
○良友は親む
ヨキ、トモダチハ、ナカヨクセヨ
○悪友は、遠ざく
アシキ、トモダチハ、チカヅケヌ、ヤウニセヨ
○禍は悪友より
フシアワセハ、アシキトモヨリ、デキ
○福は良友より
シアワセハ、ヨキトモダチヨリ、デキル
○信義は厚く
ギリスジハ、ダイジニ、マモレ
○契約は軽しく
ヤクソクゴトハ、デガルク、スルナ
○約を為しては
ヤクソクヲ、シテハ、カヘテハ、ナラヌ
○恩を受けては
メグミヲ、ウケテハ、ワスレテハ、ナラヌ
○人に施しては
ヒトニ、モノヲ、ヤリテハ、オシイト、オモウナ
○人を恵みては
ヒトヲ、メグミテハ、オンニ、カケルナ
○飢える者には
ヒモジキモノニハ、メシヲ、ヤリ
○渇たる者
カワキタル、モノニハ、ミズヲ、ヤル
○人の財は
ヒトノ、タカラハ、ウラヤマシク、オモフナ
○己の財は
ジブンノ、タカラハ、ムダニ、ツカフナ
○情りて侈れば
ナマケテ、ミエヲハレバ、ソノイエ、ビンボウニナリ
○勤めて倹約すれば
セイヲ、ダシテ、ケンヤクスレバ、ソノヒト、モノモチトナル
『和漢修身訓俗解』 巻1
ワカン シュウシンクン ゾッカイ
平野玉城編
出版 : 矢部町(神奈川県):聞天堂、明17年8月
形態 : 12丁;11×16cm
装丁 : 和装
亀野さん、おはようございます
明治15年「和漢修身訓例言」は日野小学校の資料室のキャビネット内にあります。貴重な港南区の史料と思います。
明日にも、確認を致します。
投稿者 ちのしんいち | 2009年8月16日 10:39
ちの様
日野小学校の『和漢修身訓例言』と、それを判りやすくまとめた平野玉城氏の『和漢修身訓俗解』を比較してみるといろいろなことが見えてくることと思います。
とにかく貴重な資料ですね。
今月22日には永野小学校土曜塾による「夏休みチャレンジスクール」が貞昌院で開催されます。
その中に、明治時代の教科書とノートを少し盛り込んでみようと考えています。
投稿者 kameno | 2009年8月16日 10:54
亀野さん、こんにちは
日野小学校の資料室には、日野地域の人達から寄贈された明治時代の教科書や書物が沢山保存されています。
22日の永野小学校土曜塾「夏休みチャレンジスクール」前に、是非 目を通される事をお勧めいたします。
又、今後 港南歴史協議会としても これらの貴重な史料の取り扱いについても、検討をして行きたいと思います。
ご協力、ご指導を 今後とも 宜しく、お願い致します。
投稿者 ちのしんいち | 2009年8月16日 14:06
ちの様
日野小学校の資料は貴重なものですね。
是が非でも、虫食いが深刻化しないうちに保存の方策を考える必要がありそうです。
投稿者 kameno | 2009年8月18日 01:22