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教区寺院の施食会行事も半数の寺院が終わり、今日あたりが丁度折り返し点となります。
丁度良い機会ですので、施食会について振り返ってみましょう。
施食会(せじきえ)は、従来は施餓鬼会(せがきえ)と称されておりましたが、曹洞宗では行持軌範の改定により施食会と称するようになりました。
ただし、従来とおり「施餓鬼会(せがきえ)」あるいは「お施餓鬼(おせがき)」と称している寺院も多くあります。
貞昌院においても施餓鬼会法要としています。
ここで、各宗派の公式ホームページより、行持の呼称と説明を見てみましょう。
宗派 | 呼称 | 説明 (公式Webサイトより引用) |
曹洞宗 | 施食会(せじきえ) | お盆の施食会の法要は、曹洞宗にとって大切なもので、祖先、父母、親類、縁者の精霊、または無縁の精霊に供養するために、各お寺で勤められるのです。 |
天台宗 | 施餓鬼会(せがきえ) | 施餓鬼、お釈迦さまの弟子の阿難尊者が、餓鬼に「おまえの命はあと3日である。死んだ後は餓鬼の世界に生まれ変わる」と告げられたことをお釈迦さまに相談し、「餓鬼に飲食を施しなさい。そうすれば汝も延命がかない、餓鬼も苦しみをまぬがれて天上に生まれることができる」と教えを受けたのに始まります。 法要は施餓鬼壇を設け、五如来の幡をかけて、三界万霊、すべての精霊をまつって修されます。餓鬼に食べ物などの施しをして、先祖供養をするとともに、自らも餓鬼の心を起こさないように自戒する機会です |
真言宗(智山派) |
施餓鬼会(せがきえ) | お施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』に説かれる物語です。この物語の主人公は、お釈迦さまの身の回りの世話をし、お釈迦さまのそばで一番多くの教えを聞いたので「多聞(たもん)第一」といわれる、「十大弟子」の一人、阿難(あなん)尊者です。 ある日、阿難尊者が一人修行していると焔口(えんく)という餓鬼が現れ、「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼道に堕ち、私と同じような醜く恐ろしい姿の餓鬼になるだろう」と告げました。びっくりした阿難は餓鬼に、「どうしたらその苦をのがれることができますか」と尋ねます。すると餓鬼は答えました。「明日の朝、無数の餓鬼とバラモン(司祭者)に、多くの飯食(おんじき)を布施しろ。そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私も餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」。しかし、そんなに多くの飯食を一晩で用意することはできません。困った阿難はお釈迦さまに助けを求めました。するとお釈迦さまは、施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、「心配しなくてよい。この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数の餓鬼、そしてバラモンに心のこもった施しをすることになるだろう」と教えました。そして阿難は、この教えのとおり餓鬼に布施をして、無事に死をのがれ、餓鬼は苦しみから救われたのでした。 ここに出てくる餓鬼とは、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣(さんあくしゅ)」の一つで、飢えと渇きに苦しむものをいいます。 餓鬼は、水を飲もうとしても水が血の膿となって飲むことができず、喉が針のように細いので食べ物を飲み込めない、そして口から火を吐いているので食べ物が燃えて口に入れることすらできないのです。 限りない物欲(ぶつよく)を象徴しているのが餓鬼です。そして阿難尊者が見たものは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。物欲に支配されていると、自分本位に走り、人を差別したり、傷つけたりします。そこでお釈迦さまは、物欲に支配された醜い心を洗い、清らかにしていく手だてとして、布施の修行を示したのです。 このように、私たちが生きていく上で避けて通れない「食欲」をたとえにして、「もの惜しみをせず」人間らしく生きていく道を教えてくれるのが、お施餓鬼の法要なのです。 |
臨済宗・黄檗宗(臨黄ネット) | 山門施餓鬼会(さんもんせがきえ) | 盂蘭盆会(うらぼんえ)の当日に行なわれる施餓鬼をいうため、盂蘭盆会、大施餓鬼会ともいいますが、ここで、盂蘭盆会と施餓鬼会は本来、別法要であることを知っておかねばなりません。 |
日蓮宗(本門寺) | 盂蘭盆施餓鬼会(うらぼんせがきえ) | 参列する檀信徒と共に読誦唱題をささげて、各家先祖代々の霊、新盆の霊、戦争災害、交通事故等殉難の霊、法界万霊に供養の心を捧げます。 お盆はお釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者が餓鬼界で苦しむ亡き母親をお釈迦様の教えに従って雨安居(雨季の間、一定の場所に留まって僧侶が修行すること)が終わる7月15日に大勢の僧侶に施しをして、亡き母を供養してもらい、餓鬼界から救われたことに由来しています。 花や線香を手にした参詣者は、墓前において手を合わせ、感謝の誠を捧げます。 |
浄土宗 | 施餓鬼会(せがきえ) | 「おせがき」は、「施餓鬼会(せがきえ)」「施食会(せじきえ)」などといわれ、各宗派を通じて行われる仏教行事の一つです。 その由来は、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)』というお経によるといわれています。 それによると、釈尊の十大弟子の一人である、阿難尊者(あなんそんじゃ)が、ひとりで瞑想している時、口から火を吐く一人の恐ろしい餓鬼があらわれ、「お前は3日後に死んで、我々と同じ恐ろしい餓鬼道に落ちる。」と言いました。恐れおののいた阿難尊者が、どうしたらそれを免れることができるかを尋ねたところ、その餓鬼は、「その苦から免れたければ、三宝(仏・法・僧)に供養しなさい。また無数の餓鬼たちに食物を(ほど)こして供養した功徳(くどく)により、餓鬼も救われ、その功徳によってお前も救われるだろう。」と答え、姿を消しました。 阿難尊者は、釈尊に教えを請い、寿命を延ばすことのできた阿難(あなん)の説話にもとづく行事である。 その求めに応じて釈尊が示された修法が施餓鬼会のはじまりとされています。そして餓鬼だけでなく、先祖代々や広く無縁の諸精霊(しょしょうれい)を供養し、また同時にみなさん自身の福徳延寿(ふくとくえんじゅ)を願うわけです。 ぜひこの施餓鬼会の機会に、心からお念仏を称(とな)え、自他ともに救われる功徳(くどく)を積んでいただきたいものです。 本来、施餓鬼会の期日は定められていませんが、お寺の年中行事のひとつとして、お盆の頃におこなわれることが多く、施餓鬼棚に「三界万霊牌」や初盆の戒名を記した位牌を置き、浄水や食物を供え、五如来の「施餓鬼幡」を立てて法要を営むのが習わしです。 施餓鬼会は、新亡の霊や先祖代々の諸霊を供養するとともに、無縁仏や餓鬼に施しをする法要でありますが、さらに日頃の自分自身に巣くう「餓鬼」の心を反省し、自他ともに生かされている身をしっかり受け止め、救われる功徳をお互いに積んでいくことが大切なことであります。 今日ではお盆の前後に行われることが多く、先祖追福のために、また一切の生物の霊を慰め、あわせて自分自身の福徳延寿(ふくとくえんじゅ)を願う法要である。 |
浄土真宗 | --- |
施食会としているのは曹洞宗だけですね。
(それはそれで良いのですが、それならば少し説明が簡素すぎる感がありますし、「餓鬼」についても触れたほうがいいとも思います)
施餓鬼会(施食会)法要の差定(式次第)は、各宗派、地域により大きく異なります。
曹洞宗神奈川県第五教区でのスタンダードな差定を改めて検証してみましょう。
※差定は行持軌範「盂蘭盆大施食会」項、一般の恒規大施食会・・・の差定に則ります。
殿鐘三会・七下鐘導師上殿 | 回向の対象 |
上香普同三拝(置茶湯) 読経(般若心経) 本尊上供回向 普同三拝 |
part1 釈迦牟尼仏 現座道場本尊 高祖承陽大師(道元禅師) 太祖常済大師(瑩山禅師) |
転班・南面 | |
鼓ハツ三通 読経(大悲心陀羅尼) 普回向 |
part2 餓鬼 |
読経(修証義) <参列者焼香> 施食会回向 鼓ハツ三通 |
part3 当山亡僧法界亡僧伽等 当寺開基 万国殉難者諸精霊 ・・・・・ 檀信徒各家先亡諸精霊 ・・・六親眷属七世の父母 有縁無縁法界の含識等・ |
導師退堂・散堂 |
このように、法要は大きく前半・後半の2つに、さらに後半が2つに分かれており、前半は北面法要(前後三拝)、後半は南面法要(前後鼓ハツ三通)となっています。
さらに後半の部分が2つのパーツから構成されておりますので、全体として3つのパーツにわかれているといえます。
それぞれの回向の対象は、
part 1 (本尊上供)
大恩教主本師釈迦牟尼仏、現座道場本尊、高祖承陽大師(道元禅師)、太祖常済大師(瑩山禅師)
part 2 (施餓鬼)
餓鬼
part 3 (付施食)
当山亡僧法界亡僧伽等、当寺開基・・・万国殉難者諸精霊・・・・天災地変横死者諸精霊・・・・檀信徒各家先亡諸精霊・・・六親眷属七世の父母、有縁無縁法界の含識等・・・・
となっています。
さて、よく言われるのが、施餓鬼(施食)会法要は、『仏説盂蘭盆経』と『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経との混用(盂蘭盆会と施餓鬼会を混同)ということです。
しかしながら、整理してみると、本尊上供 + (随時行われる)施餓鬼 + (お盆の時期に行われる)付施食 となっているのですから、混用というよりは併修という言い方のほうが適切でしょう。
曹洞宗では公式には「施食会」という呼称としていますが、押し並べて「施食会」という言葉だけを強調すると、檀家さんからは「この法要に参加すると、何か食事でも戴けるのでしょうか?」などという誤解も生じるかもしれません。
単に名称を変えることだけではなく、きちんとその理由を説明していく必要がありますね。
蛇足ですが、教区寺院の中には、part3 の 当山亡僧法界亡僧伽等を精霊棚ではなく、須弥壇にお迎えし、開山歴住とともに北面の本尊上供中で回向する寺院もあります。
その場合は、後半、南面の拈香法語や施食回向においては、当山亡僧法界亡僧伽等が省略されています。本来はそのようにするべきでしょう。
実際に施餓鬼(施食会)法要において、亡僧牌は須弥壇、精霊棚どちらにお迎えすることが多いのか、法語の中でどちらで読み込むことが多いのか気になるところです。
ということなどを考えながら、今日もこれから法要随喜に出かけます。
ご無沙汰しております。私の田舎の施餓鬼法要は新亡のご供養が中心になっています。住職さんの新盆の施餓鬼法要はやらなかったですね。寺族さんの新盆の施餓鬼法要はやっていました。確か、お葬式の時も位牌、遺骨、遺影の位置も住職さんと寺族さんでは違っていました。住職さんは仏祖位だからなのでしょうか?
投稿者 天真 | 2009年8月 3日 22:03
天真さん
菩提寺での施食会法要の中で、開山様、歴住和尚の位牌、亡僧牌、寺族様の位牌を須弥壇、精霊棚のどちらに設けるのかは、寺院により考えが異なる部分です。
機会がありましたら菩提寺にお尋ねになってみてください。
ちなみに当教区では、通常は亡僧牌は精霊棚に設けることが多いのですが、住職・寺族の新盆の場合には本尊上供に引続いて独為として須弥壇に於いて行っております。
投稿者 kameno | 2009年8月 4日 09:13