馬に学ぶカウンセリングの極意

先日、あるミーティングの中で、馬が人の心を癒すことに大きな力を持っているという話題がでました。
ホースセラピーというものです。

日本でも少しづつ広がってきているようですが、その関連記事をご紹介します。



人の心を癒す「馬セラピー」、自閉症や麻薬中毒治療にも効果的

馬は乗って楽しいだけではなく、コミュニケーションスキルを身に付けたり、精神や身体に障害を持つ人の精神を安定させるのにも役立つ。
調教師のリンダ・コハノブ(Linda Kohanov)さんは、「馬は、乗っている人が隠そうとする感情も見抜きます」と話す。
馬を利用した心理療法と人格形成――。この2つを融合したものが「馬セラピー」だ。

■馬が教えてくれる自然体のコミュニケーション
馬セラピーでは必ずしも馬に乗る必要はないと、フランスのある馬セラピー団体のブジリット・マーチン(Brigitte Martin)さんは言う。「グルーミングをしたり、手綱をゆるめて馬を自由にさせておくだけでもいいのです。馬はセラピストと患者の仲介役になってくれます」
マーチンさんが支援活動をしている自閉症の子ども、視聴覚に障害がある子どもたちは、ポニーと触れ合ううちに落ち着き、気持ちが安定していくという。
別の団体に所属するある女性は、馬セラピーは幸福感と安らぎを与えてくれると話す。「人は馬と接しているうちに心を開き、よく笑うようになります。馬はとても繊細な生き物です。気持ちを読み取りますが、そこには批判的な態度はありません。だから人は自分の感情を表現できるようになるのです」 

また、別の女性によると、人は馬を通して他人とのコミュニケーションの仕方、自分を変えるには何が必要か、断る場合はどうやって断ればいいかなどの方法を、力むことなく自然に学べるという。

■馬とのふれあいが精神的なリハビリに
Charente-Maritimeにある乗馬スクールでは、精神障害者が馬の世話係やインストラクターのアシスタント役をつとめる。創設者のイヴェス・リヴェット(Yves Rivet)さんは、「乗馬しに来た人は、彼らを障害者としてではなく訓練を受けた馬の世話係として見ます。そのため障害者という烙印から解放された彼らは、自分自身を新しい目で見るようになります」と語る。

セラピーとしての乗馬は、フランスでは1970年代に始められた。1980年代からは精神障害者の治療にも活用されるようになったという。家族に問題を抱えていたり行動に問題がある子どもたちにも、馬は活用される。さらには麻薬中毒患者や犯罪者のリハビリにも役立てられているという。
「社会のルールに従うことを拒絶する子どもたちでも、馬に乗るときは馬のルールに従わなければなりません。それを踏み越えるととても不快だということを知ることになります」と、リヴェットさん。 
彼は、母親に育児放棄されたある自閉症の子どもについて、次のようなエピソードを語った。「たてがみに顔を埋めたとき、彼は泣きながら母親の名前を叫びました。無意識に母親の黒くて長い髪のことを思い出したのでしょう」
その日を境に、この子の症状は良くなっていったという。
(平成20年6月13日 AFP)

2008年06月13日 09:57 発信地:SAINT JEAN DU GARD/フランス



動物によるセラピーとしては、イルカが有名ですが、どうやら、イルカだと人間の「悪い」面を吸収してしまい、イルカの寿命を縮めてしまうようです。

しかし、馬は人間の「悪い」ものをさらりと受け流してしまい、馬自体には全く影響がないそうです。
馬には生きるための基本的要素、「食欲」「睡眠欲」「性欲」をバランスよく持ち合わせており、生きる力を人間に与えてくれます。

また、馬は飼い主には絶対になつかないという性質も持っています。
言語的なコミュニケーションが出来ず、非言語的(ノンバーバル)なコミュニケーションしか出来ないからだそうです。

馬の耳に念仏とはよく言ったものです。

【馬の耳に念仏】 うまのみみにねんぶつ
人がいくら意見しても全く効き目のないことのたとえ。
馬に念仏を聞かせても、そのありがたみが分からないことをたとえた言葉。
ことわざデータバンク

【馬耳東風】 ばじ-とうふう
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。


けれども、馬は視野が広く、瞬時に全体を見渡し判断することができるという特技を持っています。

また、人間との馬のコミュニケーションは、お互いの雰囲気を感じ取ることによって成立します。
それが、言語によるコミュニケーションが困難な人にもスムーズに意思疎通ができる理由でもあるのです。

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馬に近づいた人は感情が穏やかになり、ニコニコするようになります。
悩みなど、吹き飛んでしまうようです。

これは、究極のカウンセリングの極意ともいえるのではないでしょうか。
昨年から仏教テレホン相談の仕事を手伝わせていただいておりますが、馬のような相談員でありたいと思っています。


もう一つ。
馬とお寺をキーワードに、何か具体的なことができそうな気がします。
ナントナクですが。

投稿者: kameno 日時: 2009年1月18日 00:54

コメント: 馬に学ぶカウンセリングの極意

>これは、究極のカウンセリングの極意ともいえるのではないでしょうか。

理路整然と話すより、どれほど愛情をこめて説くよりも、相手の話をよく聞いてあげることが大事だということですね。

なぜ、馬があれほどやさしい目をしているのか解った気がいたしました。

投稿者 うさじい | 2009年1月18日 08:04

うさじい様

>理路整然と話すより、どれほど愛情をこめて説くよりも、
>相手の話をよく聞いてあげることが大事だということですね。

まさに仰るとおりだと思います。
それにしても馬の優しい目は心が和みます。目は心を表しますね。

投稿者 kameno | 2009年1月19日 00:38

予備校でカウンセリングを拒否したら、したで、「せっかく悩みを解決するプロの人を紹介しようとしているのに」とか、「なんでのそカウンセラーと会ったわけじゃないのに嫌がるんだ」とのうざい念仏を聞かされた。
ふざけるな、私は不登校になった後も学校や、親にカウンセリングを薦められて、受けたが、全然悩みも問題も解決しなかった。
なんなんだよカウンセリングって、ただ単に話を聴いたら、(カウンセラーに相談した)自分にも問題は無かったのか?むしろ相談した本人に問題があると、話を誘導し、そう思わせ、根本的な問題から目をそむけようとしてるし、させてる。
親に「教師がカウンセリングを強引に薦めてくる」と相談したら、「もう子どもじゃないんだからそのくらい自分で対応すれば」だとよ、いったい誰に相談すればいいんだよ、エア彼女にでも相談しろってか?え?わけ解らねーよもう。
もういっそのこと予備校辞める前に、フリースペース辞める前にそこをメチャクチャにした時みたいなことか、それ以上の事やってやるか。
どうせ俺なんて教師にいちゃもんつけられて退学だし。

投稿者 ウオン・スンヒ | 2009年1月29日 15:14

この世の中って不条理なことばかりですよね。誰も自分のことを分かってくれないし思い通りにはならない。
けれども、残念ながらそれがこの世の中なのかもしれません。
ウォンさんの会われたカウンセラーはウォンさんにとって良きカウンセラーではなかったのですね。
カウンセラーは解決方法を教えてはくれません。ただ馬のように話を聞いてくれるだけ。愚痴を吐き出すことによって悩みがあるとすればそれが整理されるのでしょう。カウンセラーってそれだけの存在です。
そして、ウォンさんのことを真剣に心から考えてくれているのはご両親だと思います。

投稿者 kameno | 2009年1月30日 08:06

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