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旅行中に拝登させていただいた臨済宗の禅道場を2つご紹介します。
禅宗の祖師栄西禅師が帰朝後、建久6年(1195)に頼朝を開基として創建。
後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」の勅額が下賜されました。
塀の5本の線が、その崇高さを物語っています。
九州臨済宗第一として発展し、境内4町四方、子院38に及ぶ大伽藍を誇っていましたが、兵火により大多数が失われ、現在は往時の4分の1の広さとなっています。
栄西禅師が宋から持ち帰った茶は、肥前背振山・聖福寺にその種を蒔き、日本各地に広まっていきました。
歴代の高僧のうち、特に仙涯和尚は書画で世に知られ、聖福寺にも多くの墨蹟や遺品が蔵されています。
梅林寺は元和七年(一六二一)に有馬豊氏が久留米藩主として丹波福知山(京都府)から九州に移封の際、同地の瑞巌寺が移され、湘山玄澄禅師によって開かれた。後に豊氏の父、有馬則頼の法名「梅林寺殿」にちなんで寺号を梅林寺とし、久留米藩主有馬家の菩提所とされた。湘山玄澄禅師は梅林寺の開創にあたり、瑞巌寺を開いた師匠、禹門玄級禅師(慧性霊通禅師)を開山に勧請。禹門玄級禅師は慶長十一年(一六〇六)九月二十七日に遷化。
臨済宗妙心寺派に属し、元和7年(1621)に有馬豊氏公が丹波福知山より藩主としてこの地に移封の際に菩提寺として建立されました。豊氏公の父である有馬則頼公の戒名「梅林寺殿」にちなみ梅林寺と称されました。
開山は禹門玄級禅師。先月四百年遠諱が厳修されたばかりです。
梅林寺外苑には、梅樹500本余、つつじ3,000本が植えられています。
開創以来350年間は閉ざされていましたが、隣接するブリジストン工場の社長、石橋正二氏により苑内が整備され、昭和33年より市民に開放されるようになりました。
紅葉がちょうど見ごろを迎えていました。
見事な大木です。
一般的な拝観では見られない場所まで詳細かつ丁寧なご案内をいただきました。
細部に至るまで意匠の素晴らしさに見入ってしまい、時間が経つのを忘れてしまいそうです。
しかも、伽藍がきちんと「使われている」ということを実感し感銘しました。
竈の火も入っておりますし、浴室の五右衛門風呂も毎日使われているものです。
すがすがしい気持ちにさせてくれる禅道場でした。