生命のありよう

『生命のありよう - 部分的操作には限界 -』という福岡伸一氏の(青山学院大学教授・分子生物学)投稿記事が先週の朝日新聞朝刊opinion欄に掲載されていました。
投稿記事を引用しながら生と死について考えてみます。


まず、生物とは何か、生物の特徴として上げられることは

(1)恒常性(ホメオスタシス)維持能力
 外界と自己を区別する境界=膜 を持っており、その内部で恒常性が維持されていること
(2)エネルギー変換能力
 外界からエネルギーを摂取して排泄する代謝を行うこと。
(3)自己増殖能力
 自己と同じ遺伝情報を持った子孫をつくり出す自己複製能を持っていること。
です。

生物学的には、生きているということは、「全体としての秩序維持=エントロピー増大の抑制」が出来ていることであり、死とは「エントロピーが最大の状態=熱力学的平衡の状態」と捉えます。
これを前提にして見ていきましょう。


 現在、私たちの周りには、生命操作を巡る嫌々な議論がある。遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞……。これらを可能とする先端技術の通奏低音には、ひとつの明確な生命観がある。それは、究極的に、生命とはミクロな部品が集まってできたメカニズムであるという見方、すなわち機械論的生命観である。ここに立って、今、私たちはパーツを組み換え、プログラムを戻し、遺伝子を切り張りしている。  おりしも、今年のノーベル医学生理学賞は、ES細胞の樹立に成功したM・エバンス、それを利用して「遺伝子ノックアウト技術」を確立したM・カペッキ、O・スミシーズの3博士に与えられた。 彼らの発見がもたらしたものを改めて考察してみたい。

科学の進展により、私たちは生命を「ミクロな部品が集まってできたメカニズム」として捉えてくるようになりました。すなわち、「分子による機械」として捉え、「遺伝子の乗り物」として考えています。
生命はDNAの自己複製を目的(その中でヒトだけが個体の満足・快楽への欲求が高いのですが)としており、「自己複製をいか環境に適応しながら行うか」ということにより進化してきたという考えです。
人は古来から病気の克服、健康な肉体、永遠の寿命への野心を持ってきました。それが医療技術の進展の原動力となっています。機械論的生命観が到達した地点は、遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞に代表されるように、医療技術によってミクロレベルから人間の生殖や疾病をコントロールできるという奢りです。
時間と予算さえあれば、あらゆる疾患や不妊症を克服し、さらには死までもコントロールできるという奢りです。
しかしながら、筆者は機械論的生命観に対して疑問を投げかけます。新しい生命観への提言です。


 ES細胞の「謎」
                
ES細胞、すなわち胚性幹細胞は、あらゆる組織・臓器に分化しうる万能細胞として、今日、再生医療やアンチエイジングの切り札と目されている。しかしその特性は、万能性にあるというよりは、むしろ「無個性」性にある。
細胞たちは立ち止まっているのだ。とはいえ、立ち止まっているのは分化のプログラムに関してのみである。プログラムを一時停止しながらも、細胞分裂は続行している。つまり、無限に増える無個性の細胞集団がES細胞である。
 ES細胞は、カペッキとスミシーズに思わぬ贈り物となった。その、止まった時計と膨大な数は、ごく稀にしか成功しない遺伝子操作、いわばDNAに対するミクロな外科手術を可能としたのだ。こうして遺伝子ノックアウト技術が確立された。ゲノム中のある一部だけを消去(ノックアウト)して、その結果が何をもたらすのかを調べるこの画期的な方法は、生命科学に極めてクリアカットな知見をもたらした。と同時に、一筋縄では解けない大きな謎をも。




生物は「細胞」という最小単位によって構成されます。人間には約60兆個あります。この膨大な数の細胞は、受精卵という一つの細胞から分裂していったものです。様々な細胞は、あたかも木の幹から多くの枝に分かれていくように、多くの細胞が分かれていき、身体の組織や器官を形成する多種多様な細胞へと分かれていきます。この幹の部分にあたる細胞が幹細胞です。幹細胞には胚性幹細胞と成体幹細胞があり、胚性幹細胞がES細胞(Embryonic Stem Cell)と呼ばれます。
ES細胞は、人間で言えば受精卵が成長を続ける初期の段階の胚盤胞の中にある内部細胞塊(体を作るもとになる細胞のかたまり)から取り出されて作られます。
ES細胞は、
(1)あらゆる細胞になり得る多能性を持つ
(2)無限の自己複製能力を持つ
という、2つの特長を持っています。これが再生医療やアンチエイジングの切り札と目されている所以です。
 日本では平成13年、文部科学省から「ヒトES細胞に関する樹立と使用に関する指針」( 平成13年文部科学省告示第155号)が出され、制限はあるものの、ES細胞を利用した研究が可能となりました。
〔補注:平成19年5月23日、改正告示されています。 ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針(改正) 〕
筆者はES細胞の特性について「万能」というよりは「無限に増える無個性」の細胞集団と捉えます。枝分かれの分化プログラムを一時停止しながら増え続けているという考えです。
私たちがES細胞を作る手法は、内部細胞塊の細胞を細胞が増殖しても分化しない環境で培養することによります。


 インスリンの遺伝子をノックアウトしたゲノムを持つネズミは、体内でインスリンを作り出すことができない。そして重い糖尿病を発症する。 したがってこの実験から、インスリンの機能は、ネズミを感尿病にならないようにすることだ、と推定できる。  しかしその後、明らかになってきたことは、遺伝子とその機能を一対一で対応づけられるような知見はごくわずかだということだった。ある遺伝子をノックアウトしたのにネズミには異常が全く現れない。そんな実験例が次々と見つかってきた。このような結果は研究者の業練とはなりにくいのであまり表に出てこない。しかしここには、生命についての重要な啓示がある。 つまり生命は、パーツひとっを取り去ると変調や故障を来す「メカニズム=機械」とは全く別のふるまいをしている、ということである。  この示唆に従えば、生命操作を巡る論議は、倫理の問題以前に、むしろ純粋に科学技術の有効性の問題であるように思える。生命現象とは、個々の部品の機能が支えているというよりは、むしろ部品間の相互作用がもたらしている効果である。
 

 ES細胞は、再生医療やアンチエイジングの切り札と目されているとはいえ、このような野心的な挑戦は挫折するのではないかというのが筆者の考えです。
 最終的な結論として引き出されるのは、生命は機械とは全く別物で、ある特定の機能を持つパーツをただ単に組み合わせたものではないということです。
 生物のある器官が故障(疾患)した場合、その故障した器官を取り出して、新しい器官を配置すれば回復するという単純なものではないのです。生命は「一回性」「時間性」「適応性」という特長をもっており、その瞬間にその操作が与えられなければ決して克服できない壁があります。
 生命活動は、ただの一瞬も立ち止まることはありません。それは、遺伝子や器官の取替えを行う時間さえも与えられていないということを意味します。カペッキとスミシーズは、ごく希にしか起きない止まった時計と膨大な数の実験により、ごく稀にしか成功しない遺伝子操作の成功を収めました。
 


それゆえ、同じ効果を、別のパーツの、異なる組み合わせによって生み出すこともできる。パーツがひとつ足りなくとも、分化の途上で、それを臨機応変にバックアップしたりバイパスしたりしうる。  逆に、ある部品を増やしたり、別の部品に交換したりすれば効率が上がるように見えることがあっても、それはむしろ、その部分に連動している全体の動的な平衡を乱すことにつながりうる。可塑性とダイナミズムをもった平衡状態として生命がある。遺伝子ノックアウト実験が示しているのはそのようなことだ。


 しかしながら、生命は機械と違い、時間経過に対する応答性と欠落を自動的に補う適応性があるがゆえに、ノックアウト状態(ある一つの機能だけが欠落した状態)をつくり出すことが基本的にできないのではないだろうか(疑問形)。著者は、著書『生物と無生物のあいだ』の中で、このことを「時間という解けない折り紙」というい表現をしています。



未来像とは裏腹

 私たちは常に限局的にしか生命を観察しえないが、実は生命に「部分」と呼べるものはない。そして部分的な操作は決して有効ではないのだ。かつて描かれた未来像とは裏腹に、食糧危機を解決しうるような、本当に有効な遺伝子組み換え作物はいまだ作出されていない。生命操作の可能性を追求する科学そのものが、操作的介入の限界をも指し示している逆説的断面がここにある。
 私たちは、解像度を上げながら生命のありようをより新しい文体で記述することは今後も可能だろう。しかしおそらく、生命のありようを作り替えることはできない。なぜなら生命は、どの瞬間をとっても完成された効果として現れているものだからである。このような意味合いにあって、先端性の輝きに満ちた分子生物学は、別の見方をすれば限りなく観照にとどまる、あるいは「諦念のサイエンス」と呼べるかもしれない。



人間の生命科学への挑戦は、原理的かつ倫理的な困難を抱えています。
けれども生命科学は、それが発展と言えるかどうかは別として「生命の解明や生命の操作」という方向性に進んでいくでしょう。

 「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり・・・」


生物とは何なのか。機械とはどう違うのだろうか。
生きているとは?死とは?

生死に対する根源的な問いに対し、取り組んでいく姿勢は生物学研究の立場でも宗教者の立場でも共に重要な姿勢でありましょう。


■関連記事
「生きる」ために「自殺」する細胞たち


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生物と無生物のあいだ
講談社現代新書 1891
福岡伸一/著


出版社名 講談社
出版年月 2007年5月
ISBNコード 978-4-06-149891-4
(4-06-149891-6)
税込価格 777円
頁数・縦サイズ 285P 18cm
分類 新書・選書 /教養 /講談社現代新書



追記
先日拾い集めたどんぐりたち が一斉に発芽しました。
植物細胞の分化は可逆的であるため、植物にはES細胞として区別すべき細胞はありません。


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投稿者: kameno 日時: 2007年11月 3日 09:12

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